タワーレコードのポイントカードがたまったので,先日近所の店を訪ねてみた.
DVDを購入しようと思っていたので売り場を見ると,チェリビダッケの
トリノ・ライヴ映像集成が発売されていた.
第二次世界大戦直後,ベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトヴェングラーが,ナチとの関わりを連合国軍から疑われ,指揮活動が禁じられていた時,彼に代わってベルリン・フィルの式台に立っていたのがチェリビダッケである.
フルトヴェングラーの死後,ベルリン・フィルの常任指揮者の座をカラヤンに奪われることとなったチェリビダッケは,その後長い間特定のオーケストラの指揮者におさまることなく,各国を転々とする.
その辺りの事情は評伝 チェリビダッケに詳しい.
とはいえ,時を経るにつれ特定のオーケストラとの結びつきも徐々にできてくる.
1950年代から60年代は,イタリア国営放送交響楽団への演奏が放送用音源として比較的多く記録されている.
学生時代に海賊盤として発売されていたブラームスの交響曲全集を今はなき河原町三条の十字屋の輸入盤コーナーで手に入れ,聴いたときの興奮は今も鮮やかに思い出せる.
演奏は一回きりのものであるとして,生前は録音した音源の発売に頑として反対していたのだが,それがかえって海賊盤の流布を招いたことも今は昔の話である.
チェリビダッケの死後,遺族は海賊盤の横行を止めるという名目で,彼のライブ音源の発売を認め,その演奏が正規盤のCDで入手できることになったのは,聴衆のわれわれには好ましいのかもしれないが,本人はどう思うことか.
イタリア国営放送局はローマをはじめ,イタリアの主要都市に存在していた.
そのうちのひとつ,トリノでの演奏が映像に残っていることは,知らなかった.
晩年のチェリビダッケは,独自の禅解釈と結びついた演奏に抵抗感を示す向きも多い.
しかし,70年代後半までの彼の演奏は,晩年のように極端にテンポを落としたものではなく,その意味での聴きやすさは確かにあるといえよう.
今再生している演奏は,ブルックナーの第9番.
チェリビダッケの十八番ともいえる作曲家だ.
すでに各パートに対する緻密な演奏への要求が聴きとれる.
残念ながらオーケストラがそれに応えていないように思えるが.
梅田のシンフォニーホールで聴いたブルックナーの4番は,いくつかの楽想を断片化して,その中で室内楽のような緻密さで音を紡ぎだしていく手法に本当に驚いた.
ブルックナーという作曲家自身,古典的な形式感覚には最後まで到達できなかった作曲家であり,その意味で彼の曲は各楽想の断片が連なることでやっとのこと終楽章までたどり着き,やっとのことでコーダまで達するというものともいえる.
その意味では,チェリビダッケにとってブルックナーは彼の望む曲の解釈に馴染みやすい作曲家であったことは確かだろう.
初来日時の公演も最近発売されたようなので,後日こちらも聴いてみたいものだ.
彼の振るブラームスの4番は,フルトヴェングラー亡き後のこの曲の解釈としては,クライバーの名演と並ぶ独自の位置にあるだろう.
0 件のコメント:
コメントを投稿