2010年1月23日土曜日

ベトちゃんについて思うことあれこれ

先日,みすずから出ている「クナッパーツブッシュ」をやっとこさ読了.

ナチスとの関係をどう位置づけるべきか議論の多かったこの指揮者だが,著者の立場は共感を示しつつも灰色の部分はそのまま残しておくというもので,妥当なものと言えるだろう.
個人的には,ナチとの関係ではカラヤンほど意識的な機会主義者ではなかったけれども,反ユダヤ主義という点では,確信犯だと感じた.
ただ,クナッパーツブッシュという人物は,演奏はさておき,政治とのかかわりから見る限りでは,フルトヴェングラーほど面白くない.

実は,本を読んで面白かったのが,文中に紹介されている当時の演奏評だ.
この指揮者が生前たびたび批評家とトラブルを起こしていたこともあり,文中でもクナの指揮振りについての批評が引用されている.

ワーグナーはさておき,モーツァルトやベートーヴェンの指揮について,クナの演奏が当時から批評家の批判にさらされていたことは面白い(ことにアルフレート・アインシュタイン).
現存する録音で聴いても,彼の古典派の演奏はブラームスまで含めて,あまり感心していなかったのだが,当時から同じ評価が存在していたことを確認することができ,こちらの感触を裏打ちするものと受け止めてしまった.

また,ワーグナーのベートーヴェン論について間接的な言及があり,たまたま並行して読んでいた渡辺裕の「文化史の中のマーラー」に共鳴する箇所(分離派によるベートーヴェン展の紹介)を見つけて,あらためて19世紀から20世紀中葉までの音楽史においてベートーヴェンの占めていた意義について想いをめぐらしていた.

この時期のクラシック音楽におけるベートーヴェンは,吉田秀和の言葉によれば「北極星」のような位置にあったと言われている.
しかし,北極星という言葉が含む内容は,こうしていろいろな本から得た知識を総合していくと,当初こちらで漠然と抱いていた印象をはるかに越える射程を持っていることがあらためてわかる.

古典派の頂点に位置するとともにロマン主義の先駆,絶対音楽の確立者であるとともに標題音楽の先駆者でもある.
さらに,総合芸術の源としての第9など,ベートーヴェンが当時の音楽史を貫く一本の軸として意識されていたことを確認することができる.

結局,ドイツ音楽の優位性を確立したと信じていたシェーンベルクが,この軸の終着点に位置するとともに,彼の意図にもかかわらず,クラシック音楽をベートーヴェン(ドイツ音楽)の呪縛から解放する役割を演じたといえよう.
あるいは,別の表現では,ドイツ音楽としてのクラシック音楽の墓堀人と言うべきかもしれない.

次は,ワーグナーのベートーヴェン論を読んでみないといけないなぁ.

2010年1月18日月曜日

震災から15年

今日は一日センター試験の監督で朝から慌ただしかった.
ゆっくり15年前を振り返る余裕もなく,帰宅してからも講義の準備であれやらこれやらどたばたとして,今しがた資料を送付したばかり.

明日は,2007年制作の「帝国のオーケストラ」を見せようかと考え,帰宅してからひととおりさらってみた.
ベルリン・フィルの団員がナチ体制下でどのような活動を行っていたか,生存者や団員の子孫にインタビューしているものだ.

ドキュメンタリーはベルリン・フィルを「ナチのオーケストラ」と対比させるべく「帝国のオーケストラ」として描き出していく.
面白いドキュメンタリーだったが,いかんせん制作が遅きに失した感がある.

2007年の制作時点で戦中に現役の団員として活動した者で存命なのはごくわずか.
子孫の証言では,やはり事実を知るには限られてしまう.

20年前に制作するには,制約があり,現在制作すると証言が足りなくなる.
震災を理解することともつながっている面があるかもしれない,などと頭の中は別のことに思いを寄せていた.

その他,この10日の間には,東京出張があったり,DATのキャプチャーをはじめたり,翻訳の出版社からの割当てでもめたりといろいろあった.
それにしても,横暴で専制的な人物と共同作業をすると,精神的に疲弊する.
これを教訓に,今後は共同作業は慎むべきだな.

2010年1月7日木曜日

読書のリズム

年末からとりかかっていた「第三帝国と音楽家たち」を昨日やっと読了する.
ある期間,本を一冊読み切る行為を繰り返さないと,読みの感覚とでもいうべきものを忘れてしまうようで,今回もリズムを取り戻すのにずいぶんと時間がかかった.

さて,この本だが,アングロ・サクソン系の社会史に見られるように,網羅的ではあるが,ややエピソードの羅列に終始している印象を抱いた.
しかも,著者のケイターは,翻訳が正確であることを仮定してだが,随分と糾弾調の描き方をしている.

本人は多くの資料を基に,第三帝国下での音楽家たちの客観的な実像を描くことを繰り返し述べているのだが,実際に描かれているのはこれまでの通説的見解を否定しているだけのように思われた.

一例として,フルトヴェングラーの実像を厳しく描くのはいいのだが,とりたてて新しい事実を提示するというよりも,シュトラウスを持ち上げるためにのみ否定的に描かれているのは,学会賞を受けた著作にしてはお粗末だ.

結局,教育におけるナチスの影響を述べた第4章も系統的に分析がなされているわけでもなく,多くの事例の中に論旨が埋没してしまい,タイトルでもある「第三帝国と音楽家たち」の全体像を描ききったとは言えないのではないだろうか.
音楽的分析は皆無で,その点もやや不満ではある.

とはいえ,訳者によれば,この本は同様のテーマを扱った他の著作よりも包括的であるとのことであるから,他の著作を読んでみてあらためて評価してみようとも思うのだが,そんな余裕あるかな...

2010年1月5日火曜日

ロナルド・ドーアのエッセイに思う

年末から読み進めているマイケル・ケイター「第三帝国と音楽家たち」もなんとか最後の章にたどり着いた.
その合間にエアチェック音源のデジタル化を進めたり,家事をしたりしているのだが,手っ取り早く読了感を味わうことを目的に図書1月号を開いてみる.

ロナルド・ドーアによる「プラトンの優れた子孫 加藤周一」は,その出会いを振り返ることで加藤さんの思想の特質を端的に論じつつ,両者の見解の相違にも触れている(例えば安全保障について).
経験的事実を範疇化して現実の分析道具としていたことへの言及は,短いながらも鋭い指摘だ.
(ちなみに,ドーア氏が文章を書くにあたって,加藤さんに言及したブログをネットでチェックしたという箇所には笑ってしまった.ここにも是非寄っていただきたいものだ)

ところで,没後降って湧いたようなメディアや学者による加藤さんへの言及は,正直違和感を抱くものが多い.
生前の加藤さんは,個人的にであるが,日本において知識人としての孤立感を感じることがあるとたびたび言及していた.
アカデミズムやメディアにおける批判精神が貧弱であると感じていたようで,時事問題を話す時に分析や批判が「弱いね」としばしば口にしていた.

その後9条の会にともに名を連ねることになる梅原猛が中村元と対談した記事を夕陽妄語で取り上げた時も同様である.
一神教によるキリスト教に対し,多神教を基調とする仏教こそが,異質な他者を認める寛容な宗教であり,すなわちより平和的であるという論旨に対する批判を加藤さんは展開していたのだが,梅原氏本人はもとより,宗教界,メディアからほとんど反応がなかったらしい(キリスト教界から若干の反応があったらしいが).

どうも加藤さんは議論や論争の欠如を,日本のアカデミズムのひとつの特質と定義さえしていた節もある.
意見を交換する中で議論が整理されていき,対話している相手が文字通り「啓蒙」されていく事実を体感していく.
プラトン的(ソクラテス的)姿勢が血肉と化していた人物にとって,建設的な批判精神を媒介とした対話の相手が年月とともに減っていくことはさらに孤立感を強めたかもしれない.

最晩年,小森氏や成田氏との対談が目を引くわけだが,同時代人として議論を交わすというよりも,ご意見拝聴や,戦後知識人の業績を回顧する傾向が強かったのはやや残念.

送信者 Portugal

2010年1月3日日曜日

謹賀新年

謹賀新年.
縁あってこのブログにたどり着く人すべてにご挨拶.

さて,年末から始めている音楽ファイルの整理で新しい年を迎えることになった.
2004年から録りためているバイロイトの音源も,7割程度はiTunesに読込んで,他のクラシック番組もぼちぼちと整理中.
なかには解説部分を省略したため,今となっては曲名の不明な音源もちらほらとあり,検索しても出てこないのだ,困ったことに.

元日はそのテの作業でほぼおしまい.
今日は夕方から太宰府に初詣だったのだが,あいにくの雨模様でゆっくり境内でお参りとはいかなかった.

帰宅途中薬院で下車し,李に寄ってみたのだが,3日からの営業とのことで,残念.
結局,赤坂にある焼肉屋を経由して帰ったらすでに23時近くであった.

今年の抱負をうんぬんするまえに,年末から読んでいる「第三帝国と音楽家たち」が終わらない.
とにかくこれを片付けないと,先に進まないので,なんとかしないとなぁ.