2007年6月30日土曜日

研究会

今日は研究会.
ネパールのグルカ兵の話と東南アジアの移住労働者の話を聞いて精神の洗濯をした気分.
やっぱ,職場じゃ事務的な話が多いし,ストレスもたまってくる.

昔は研究会に出るとつまらない話ばかりだと,かえってストレスがたまったものだが,あれは恵まれた状況でのことだったのだなぁ,とあらためて思い起こした.

2007年6月29日金曜日

グールドのザルツブルグ・リサイタル

そう,今日は以前に書き込んだチケットの件が無事解決した.
これで日曜は久々の福岡ドームとなる.

夜は学生一人とインドネシアからの留学生と計3名で焼鳥を食べた.
貧弱なインドネシア語は,もはや塵と化して,無に等しくなっていた.
こりゃ,もいっかいやり直さないと,ジャカルタ滞在中に覚えた○くそ程度の語学力が,○くそ程度になってしまう.

帰宅して,今年度初のスイカを食べる.
ジャカルタで毎朝朝食代わりにマンゴーやスイカやメロンを食べていたときのことが脳裏をよぎる.
フラッシュ・バックってやつ.

スイカを食べていたときに,これまた久々に聞いていたのが,グールドのザルツブルグ・フェスティヴァルでのリサイタル盤.
1959年8月25日なので,金字塔となるゴールドベルグ変奏曲の発売から3年後,コンサート撤退表明まで7年という時におこなわれたものだ.



このリサイタルでは,Sweelinck,Schonberg,Mozart,Bachの曲を弾いている.
音楽批評にも長け,音楽教育についても独自の思考を展開していたグールドだが,このリサイタルでも16世紀から20世紀に至る音楽史をピアノ曲を通して概観するような構成になっている.

シェーンベルクは,ポリーニがあのすばらしい演奏を録音するまでは,グールドの演奏が唯一「聞ける」演奏だった.
ザルツブルグの聴衆が,無調時代のシェーンベルクの曲に慣れていたとは思えないが,少なくともグールドの演奏は最後まで聞かせることに成功したように演奏からは思われる.

ゴールドベルグは,これもまたすばらしい演奏だ.
ライブ特有の指のすべり(これこそ彼の忌み嫌ったものであるが)をはじめとして,ここでしか聞くことのできない彼の演奏上のアクセント付けがたくさんあって,それだけでも聞いていてスリリングだ.
しかも,最後のアリアに戻る直前の絶頂感といったら,まさしくエクスタシーとしかいいようのない感覚を味あわせてくれる.

ライデンに留学していたときに知り合った音楽専攻のアメリカ人がいて,彼が部屋に遊びに来たときにこのCDを見つけ,二人でグールドの演奏について興奮しながら話したことも,もう10年前になる.

そのときから数えて,一体どれほど成長したのだろうか.
多くの経験や事実を知ることはあったが,思考の奥深くまで達するような経験をしてきただろうか.

雨の一日

昼に強い雷雨にみまわれた.
職場の近くで落雷があり,内線電話が不通になったり,消防設備の誤作動などの影響があった.

しかし,この頃雨が降っていなかったので,まとまった雨としてはよかったのかもしれない.

記憶がない

日曜日に開催されるソフトバンクとロッテの試合のチケットをもらったのに,行方不明.
いつどこで失くしたのかわからんぞい.

先週金曜日には,講義をした部屋に外付けHDDを忘れてきたのを昨日気がついて,やっとみつけたばかりなのに,最近すぐ忘れすぎ.
寝て直すしかないか.

2007年6月28日木曜日

梅雨らしいのだが

これまであまり梅雨らしい雨は降っていない.
このまま梅雨明けになると,また断水騒ぎがおこりそうだ.

今日は湿度が上がって蒸し暑い.
これから10月頃まで調子が落ちるなぁ.

近頃は昔使っていた機械,というかおもちゃだけど,と再会して戯れることが多いのだが,おとといくらいから,また子供の頃に使っていた製品をひっぱりだしてきていじっている.

今回は,短波ラジオ.



でかいのが,小4のときに購入してもらったCRF200という機種.
手前の小さいのは,10年ほど前に購入し,マイナーチェンジは経たものの現在でも発売しているICF SW100
どちらもソニー製で,現役バリバリである.
オランダに留学したときも,ジャカルタに住んだときもラジオは常に持ってた.

ちなみにラジオに関しては,1台しかソニータイマーは発動していない.

小学生の頃,短波放送を聞いて,放送局に受信報告書を送って証明書をもらうというのが一部の間ではやっていた.
いわゆる,BCLブームというやつ.

あの頃は,まだ海外の情報を入手する機会が新聞やテレビくらいしかなく,しかもその質量ともに貧弱だった.
そういった時代に,短波放送は直接海外の情報を得る手段として重要だったし,経済成長を遂げて先進国の仲間入りを果たした日本に対して,日本語放送を行っていた局も多かった.

手近なところでは韓国KBSや,中国の北京放送.
それに,北朝鮮の放送局もなかなか面白かった.
ベトナム放送なんて中越紛争の直後だったので,かなり辛らつに中国を批判していたことを今でも覚えている.
フィリピンからはカトリック系の放送局が売春ツアーの告発をしていたなぁ.

ヨーロッパの定番は,BBCとドイチェ・ヴェレ.
これら大国の放送局は,距離が遠くても世界の各地に中継局を設けていたので,受信状態は常に安定していた.

反対に,受信しにくいことや,珍しいという点ではバチカン放送というのもあった.
最難関は日本の裏側のアルゼンチン.
これは,5分強しか受信できなかったのだが,なんとか受信の証明をしてもらえた.
アメリカは,今も昔も日本語放送をする必要もないくらい,日本ではその情報があふれているらしく,VOAは日本語放送はしていなかった.

インターネットの普及によってこれらの日本語放送はどんどん放送をやめてしまった.
確かに,雑音に悩まされず,いつでも見聞きできるネット放送のほうが,情報の入手という観点からいえば望ましいことに違いあるまい.

インフラの整備されていない途上国くらいでしか,短波放送の持つ意義はもう残っていないのかもしれない.
とはいえ,今でもダイヤル回しながら飛び込んできた音声に耳をすませてどこの放送なのかを確かめるのは,それはそれで面白い.

それに,ラジオは想像力を喚起する点では,他のメディアの追随を許さないと思っている.
また,手間を楽しむという点では,コーヒーを入れたりフィルムカメラをいじるのと同じなのかもしれない.

それにしても,子供の頃世界の放送局を聞いていたおかげで,地理に関する知識や,国際情勢に関する興味がわいたことも確かだし,それが今の仕事の底流を形作っていると思えば,このラジオから受けた恩恵は計り知れないものがあるな.

2007年6月27日水曜日

戻ってきたPEN F

先週オリンパスのPen Fがサービスステーションから戻ってきた.
残念ながらオーバーホールはもうしていないとのことで,シャッター不良の箇所と付属の38ミリレンズの掃除をしてもらった.



早速実写確認するためにフィルムを装填して撮影しているのだが,巻き上げの重いことったらありゃしない.
おそらく,長いこと使われなかったためだろう.
毎日いじってたらそのうち馴染んできて,もう少し軽快に巻上げができるようになることを期待しているのだが,他方では金属疲労によってスプリングなどが故障しないか不安でもある.

それにしても,40年も前によくもこんな斬新なモデルの一眼レフを作ったものだ.
あらためて設計者のアイデアと,商品化を決めた企業の姿勢に感心してしまう.
そのうちMOMAの収蔵作品として認められないものだろうか.

2007年6月25日月曜日

バロメーター

それなりに年齢を重ねていくと,身体の調子を計るバロメーターを誰でもひとつふたつ理解するようになる.
自分の場合,それは居眠り.

たとえば電車に乗って居眠りするとか,テレビを見ていてうとうととかなると,それは睡眠不足と疲労が蓄積されていることを示す.
この場合,なにをやっても集中できないし,なによりやる気が出ない.

解決策はいたって簡単.
ひたすらごろごろしてのんびり休息をとることなのだが,どうもここ最近は休みの日もどたばたして休暇にならない.

あと3週間しのげば,なんとかまとまった時間が取れるようになるのだが,それまでに一波乱,二波乱ありそうな今日この頃である.
おしまい.

マイルス

NHK教育でマイルスの番組が放映されていた.

もともと「知る楽」という番組で放送されていたものを編集してひとつの番組にまとめあげたもの.
ビバップからモードへ,そしてエレクトリックサウンド,ヒップホップ,ラップへと音の意匠を時代と共に変化させていった,そのことをとりあげていた.

でもやはり頂点はKind of Blue.
桁外れの才能を備えた人物たちとの交流が産み出した稀有の音.
独特のコード進行がかもし出す淡い透明感ある響きは,パーカーの作り上げたジャズの語法を踏み越える決定的な一歩だった.

Blue in Greenは,とりわけ好きだ.
この曲にはエヴァンスの才能が満ちあふれている.
枯葉で彼はこの曲を再録していて,手元のCDには二つのテイクが収録されている.
それだけ出来栄えに自信のあった曲なのだろう.

Kind of Blueにこの2曲を加えて焼いたCD-Rが,部屋で鳴ることが多い.
梅雨時にはまさにうってつけではないか.

でも,なぜか近頃はウェス・モンゴメリーを聞きたいのだ.

2007年6月24日日曜日

音楽と政治

冒険氏のブログに最近放映されたバレンボイムのドキュメンタリーについての言及があった.
サイードとバレンボイムの交流は公刊された二人の対談でも述べられているが,そのワーグナー演奏を評価していたサイードからのアプローチだったらしい.

二人の交流は,私的なものからそれぞれの出自であるユダヤとパレスチナをめぐり社会的な活動へと展開していく.
イスラエルとパレスチナから若い音楽家を募り合同のオーケストラを組織し,音楽という普遍言語を媒介に両者の交流を図ろうとするものだ.

泥沼のパレスチナ問題を音楽が解決するとはサイードもバレンボイムも思わないだろう.
ただ,音楽が解決へのひとつの糸口をあたえてくれるかもしれず,その希望に賭けることからはじめてみようという点で二人が一致したからこそ,こうした活動が行われることになったのだろう.

ここではそのことについてこれ以上書かない.
というのは,とても長い文章になることが明らかだから.
ここでは,サイードとバレンボイムに対する個人的な思い出について書きたい.

かつて東京で朝日新聞が主催したメセナ関連の会議に招かれたサイードの講演を聞く機会があった.
内容は直前に刊行された『文化と帝国主義』をうすめたものだったように記憶しているが,なにより驚いたのがはじめて聞く彼の肉声だった.

とてもきれいなブリティッシュ・アクセントでよどみなく言葉がつむぎだされていく.
そして,どこか書生くささを感じさせてしまうやや高い声.
今では彼の講演は容易に購入することができるのだが,約10年前は難しかった.
現在でも,ときどき英語の耳鳴らしとして彼の講演を収めたCDを聞き流すときがある.

バレンボイムは本拠地としているベルリン歌劇場でローエングリンとベートーヴェンの第9を聞いたことがある.
ローエングリンの演出はとても斬新で,それに抵抗を示す客がいたのだが,演奏それ自身は楽しんだおぼえがある.

確か1996年12月28日頃だったはず.
その二日後の30日に第9を聞いている.
ローエングリンに比べると第9はよくなかった.
あんなに感動しなかった第9は,後にも先にもあれだけかもしれない.

そのときのメンバーで直後に録音されたCDも買って聞いたが,やはり感心しなかった.
指揮者としてのバレンボイムはワーグナーとブラームスの一部(これも好き嫌いはあると思うが)がよく,どうもモーツァルト(除くピアノ協奏曲)やベートーヴェン,さらにそれ以外の大半の作曲家についてもあまりいい演奏をしているとは思えない.

バイロイトでのトリスタンの演奏はDVDでも持っていて,これは映像として残されたトリスタンの現時点でのベスト(シノーポリによるトリスタンの映像が残されていれば別)だが,ちょっと他との落差が激しすぎる.

バレンボイムがお手本にしているのはフルトヴェングラーであることは公然の秘密だが,やはりフルトヴェングラーの演奏するブラームスやワーグナーはかなり消化できても,ベートーヴェンは無理ということなのかもしれない.
バレンボイムの才能うんぬんというよりも,フルトヴェングラーのベートーヴェンがあまりにも特異すぎるというべきだろう.

冒険氏のブログに触発されて,今日はフルトヴェングラーを久しぶりに聞きまくったのでした.
おしまい.

2007年6月23日土曜日

あ,あ,あ,

アンリがバルサに移籍決定らしい.
昨年のチャンピオンズリーグの対戦相手でもあったし,決勝後にも移籍の噂があったのだけれども,とうとうかぁ.

アンリは怪我もあって今年は不本意なシーズンだったし,アーセナルも若手を中心とした戦力の組換えをしていたので,わからなくもない.
しかし,エトー,メッシという素晴らしい攻撃陣に加え,控えにグジョンセンがいる現段階のバルサで,アンリをどのように布置するのだろうか.

グジョンセンはプレミアへの復帰を希望しているみたいだし,まさかエトーも移籍するのではないだろうなぁ.
ライカールト監督も今シーズン終了したら去就がどうなるか未定だし.
こりゃ,しばらくは目を離せんわ.

といっても,こっちじゃ契約しないとプレミアもリーガも見れんのじゃぁ.
ああ,ジャカルタの日々が懐かしい.

家の近くのコムスン

夕方買い物に行く途中気がついて中をのぞいてみた.
事務所は営業中止のため室内が暗く,留守番電話に残されたメッセージを示す緑のランプが点滅していた.
室内は,備品などもそのままにされていて,事態の急展開を物語っているように思われた.



行政の怠慢によって導入された介護保険をビジネスチャンスとして受け止め急速に拡大していき,厚生労働省からも高く評価されていたコムスンだが,介護分野での市場原理が結果的にもたらすものがなにかを鮮やかに示してくれた.

80年代から継続するなんでも民営化すればよくなるという知的思考の放棄は,そろそろ見直す時期に来ていると思うのだが,一向にその気配はなさそうだ.

「労働市場の弾力化」,「競争力の復活」という名目で伸びていった非正規雇用もその一例だろう.
コムスンを統括する人材派遣業のグッドウィルによる57%にものぼる仲介手数料や「システム維持費」という不明瞭な名目での天引きが問題になっているのも,結局は行き過ぎた市場原理の導入と過剰な市場への信仰,そして人間をモノとしかみない風潮の裏返しに思える.

自由主義の祖と仰がれるJ.S.Millは,その行き過ぎに警鐘を鳴らし,社会による市場の調整,したがって社会保障政策の必要性を訴えていた.
そして,なによりも少数者の言論の自由を自由主義の核に据えていた.

どうもこの国の自由主義は,精神活動の面では沖縄戦集団自決への教科書検定(検閲),さらに国旗国家の問題に象徴されるように自由な意見を認める余地を限りなく少なくしようとし,他方では人を自由に切り捨て,使い捨てできるような社会システムを構築するところに主眼があるらしい.

しかし,こんなことをぶつぶつつぶやいていても,来る参院選で自民党が負けても現政権は開き直って政権の座にい続けるだろうし,衆院選で政権を交代させるつもりも一般ピープルにはないみたいだ.

自宅周辺をみると,再開発のせいで古い地区にはマンションか,モールか,パチンコ屋くらいしかできない.
周囲がこんな環境だと,住民のレベルもその程度にしかならないのかもしれないなぁ.

といっても,近所にカメラ店があったりしたら,とんでもないことになりそうではあるが.

2007年6月21日木曜日

整備終了

昼からの審議会(それなりに面白かったのだが,さすがに内容は書けない)が夕方に終了した後,博多まで足を伸ばす.
先日修理を頼んだPEN関係のボディやレンズが戻ったとの連絡をもらったからであった.

PEN Fのシャッター関係は正常に戻り,モルトも張り替えられており,これで稼動OKになったはず.
そのうちボディ全般のOHと再塗装もしたいなぁ.

PEN Dもファイダーの清掃を終え,それなりの状態に戻ったのだが,いかんせんレンズに拭き傷が多く,できることなら前玉だけ換えるか,再研磨が必要のようだ.



これもシルバーの冷ややかな質感を鮮やかに再現したい.

レンズは,一応清掃は済んだのだが,やはりカビ跡は残ってしまっていた.
致し方あるまい.

とりあえず,今の季節はなんたって紫陽花.
早速明日から心機一転,出勤途中はPENを片手にビシバシいてまうか.

審議会に出席する日

現在居住している市の隣の市の個人情報保護・情報公開審査会なるものの委員をここ数年引き受けている.
今日は,今年度第一回の審議会があるのでこれから出かけないといけない.

それにしても,どんよりとしたいかにも梅雨らしい空になっていて,なにも出かける日に限ってこんなんならんでも…と思ってしまうのであつた.



こんなときは自家用車があるといいと思ってしまうなぁ.
ま,税金や維持費を考えると,その分本買ったりカメラ買ったりするほうが環境にやさしくて,所有欲も満たされるから健全か(!?)

右であれ,左であれ…

「わが祖国」と述べたのはオーウェルだった.
大恐慌後の社会がファシズムと労働運動の高揚を背景とした社会主義とに分極化していくなか,彼の訴えかけはナショナリズムによる国民の回収だった.

事実,その後の英国はドイツとの戦争に突入,チャーチルという「偉大な」国民的政治家を頭に見事な団結を示すことになる.
そして,オーウェルもBBCで宣伝放送に従事し,祖国防衛に一役買うこととなった.

予断ながら,第一次世界大戦前後の英国でも,社会主義のシンパになった知識人が多かった.
オーウェルをはじめ,E.H.Carrなどそうそうたる人物が活躍していたが,第二次世界大戦と共にそのほとんどが諜報や宣伝部門で英国への忠誠心を示した.

時は流れ,冷戦は過去のものとなり,もはや社会主義についてなんらイメージを持たない人々が20代をむかえ,社会人となっている今,果たして日本で「左翼」なんて概念が成立するのだろうか.

なんてことを思ったのは,某知人のブログに朝日新聞うんぬんかんぬん左翼的とか書いてあった箇所を見たのがきっかけだった.
まぁ,同じことは学生の頃から折に触れて考えていて,誰かや新聞社などを左翼と言う発言にいつも落ち着かなさを感じていたからだ.

個人的な経験では,民青同盟が強く,共産党系のシンパが一定の勢力を持っていた某大学で政治に関心を持ちながら学生生活を送っていると,自然,いろんな人と話す機会が多かった.
その一部からは,「ブルジョワ自由主義的(!)」とラベリングされていたのだが,進学した大学院ではこれまた一部の新左翼系シンパの人からは「共産党支持(!)」とラベリングされた.

本人は,自らの信ずるところを述べていただけなのだが,どうも自分の経験からこの手の呼称はあまりにも基準となる指標がなく,とても感覚的,であるがゆえに他者をラベル付けしてなにかすべてがわかったような気分にさせてしまう危険かつ便利な言葉であり続けているように思えてならない.

死語になったかと思えば,案外しぶとく使われ続けているのは,そんなところに理由があるのだろう.

話を少し戻すと,個人的には,朝日新聞のどこが左翼なのか,ちっとも理解できないのだが(護憲は基準にならないし,生産手段の国有は誰が今の世の中論じているのだろう)…
てか,日本に左翼はいるのか!?
あるいは,左翼の新聞はあるのだろうか?

こんなことをここに書くのも,実は,今日の会議でのことがあったから.
いろいろ議論(の域には達していないのだが)が紛糾すると,誰は誰の支持者だとか,味方だとか,そんな風にしか判断しなくなってくる.
自らの思うところを述べる(それを可能とする職業が現在の職業と思ってなった部分もかなりある)のだが,そうすると以前からそれを快く思っていない人からは,相変わらず快く思われず,自分を味方だと思い込んでいる人からは,「支援しない」だのと思われてしまう.

いやぁ,まいったまいった.
精神の風通しのよさを重視したのは,ヴァレリーだったが,黄砂が舞い,光化学スモッグの発生する地は,よどんでいる地帯ということなのだろう.

2007年6月20日水曜日

そうそう

リコーフレックスの使い方が皆目見当つかなかったのだが,こんなサイトを見つけた.

ありがたい.

ちょっとずつ使い方を覚えていこう.

ちなみに家にはこんな秘密兵器が存在しているのである.



バルナック型IIIbと名機M3.
豚に真珠,猫に小判,馬の耳に念仏とはこのことだ!

天気はいいが,気分はどよどよ

今日は,「個人業績評価」なるものの結果を渡された日でした.
不愉快極まりない制度・運営としか,ここでは書かないことにしておきませう.

生産性の低い一日だった.
が,バドミントンのスマッシュはよく決まっていた日だった.

家帰って,恵比寿ビール飲んで,BOSTONの1枚目を聴いて,Floydの狂気を久々に聴いたらちょっとすっきりした.

やる気を失せることばかり仕事場では降りかかってくるので,将来の身の振り方を真剣に考えるべく思った一日でした.

おしまい.

2007年6月19日火曜日

クレームをつけたこと

もうひとつカメラネタ.

先日注文していたLマウントのレンズでインダスターなる安もん旧ソ連レンズが今朝届いた.
が,注文していたのはインダスター22の50ミリにもかかわらず,届いていたのはインダスター50の50ミリだった.

早速電話したのだが,いろいろやりとりしたあげく店員いわく「どっちもいっしょですよ」だってさ.

正直,「お前,商売人ならその文句は言ったらあかんやろ」と内心思ったが,それまでのやりとりからこやつとこれ以上話してもあかんやろ,と判断していたので,ぐぐっとこらえつつ,「同じとは言われているけれども,写りは違うかもしれないですからねぇ」と一応大人の対応をしたのでありました.

客のニーズを無視する発言を平気でするなんて,素人商売もええとこや,KING2よ.

2007年6月18日月曜日

受け継いでいくこと,その2

昨日,父の日だが,父から第二弾の荷物が届く.
ニコンを除きすべての保管していたカメラがこちらの手元に届いたことになる.

リコーフレックスが二台.



ジャジャジャジャーン♪
ようこそ我が家へ.

親父いわく,北海道の大雪山から神戸六甲山まで一番活躍したカメラらしい.
しかし,使い方がようわからんので,これからいじくって,補修の必要な箇所は直してもらおう.

そして,名機ペンのEE-3.
これは,おいも子供の頃に使っていた記憶があるもんな.
うん十年ぶりの再会に,ただただうれしい.



でも,実はすでに手元にペンDとEEが二台あるのだった.
とはいえ,Dは今OH中だし,現在撮影に使っているEEと比べても,一番状態はいい.
モルトの交換くらいしか修理箇所は見当たらないなぁ.

ところで,ペンタックスのK10Dグランプリ記念モデル.
先ほどペンタのHPを確認したところ,すでにペンタのHPでの予約はキャンセル待ちと表示が出ていた.

大慌てでペコちゃんのHPから予約をしたぼくちんでした.
は~,どないしよ…

2007年6月17日日曜日

よどむ週末

昼からひたすら洗濯と掃除.
先週の週末が学会でつぶれたので,先延ばしにしていたことがたくさんあったのだ.

まだ残っている作業.
・新聞の切り抜き
・レンジ・フードの掃除
・ホットカーペットの掃除と収納
・机の整理
・風呂掃除

というわけで,もう疲れた.
ああ,面倒だ.

とぶつぶついっても解決しないので,ホットカーペットと風呂を片付けるか…

2007年6月16日土曜日

パッケージ

K10Dが,日本とヨーロッパのカメラグランプリを受賞したとのことで,その記念に特別限定パッケージを発売するそうだ.

PENTAXは,HOYAとの合併後の将来像が描けておらず,最悪はカメラ本体の部門は収益性が低いということで切り離す,あるいはおとり潰しの可能性があることは否定できない.

コンパクトカメラはペンタのみならず各社共に収益性が下がっているので何らかの付加価値をつけて競合他社との差別化をはかろうと必死だ.
こういう分野は基礎体力の勝負になってくるので,一方では資本のでかいキャノンやパナソニックといった会社に徐々に絞られてくるのとともに,他方ではニッチ分野でいくつかの特徴ある製品が残る(例えばGR)ことになるのではなかろうか.

多分,ペンタもコンパクト部門からの撤退が比較的早く表明されて,当面はデジ一に生産を集約するのではないか.
その場合,デジ一分野で新製品の開発を続けるのか,Kシリーズのマイナーチェンジでだましだましつないでいくのかは,これからの動向によるんだろうなぁ.

この受賞記念モデルが最後のあだ花になるとしたら,なんて考えると,深い沼の淵から深淵を覗き込む気分になるのでした.
買っといたほうがええんか!?

2007年6月14日木曜日

昨日の夜半から降り出してきた.

雨が降ってもええやないか,と思わせる気にさせてくれたのは,ジョン・レノンがけだるい声で歌うRainを聞いてからやった.
ZepのRain Songは,雨の歌にしてはちときれいすぎや(好きだけど).

今年も梅干をつけるかどうか,ここ数日で決断せんとあかん.

さて,近頃は教育実習を終えた学生ちゃんがぞくぞくと報告にくる.
比較的いい思い出を後にしてきたみたいで,まずは一安心.

それにしても,わが人生の中で一度たりとも小中高の教師になりたいと思ったことがないので,正直わしには教師になりたい人たちの気持ちをきちんと理解のできないことも多々ある.

大学の教師は,なってみたらあまりにもkepalaの軽い人物が多く,現在げんなりしている最中である.
最近,急激にカメラが増殖している理由は,実はこれが大きかったりして…

2007年6月13日水曜日

受け継いでいくこと

今朝,父親からカメラが届く.
カメラ3台とレンズが7本.
予想よりも多かった.

カメラはすべてペンタックス.
SPとSL,それにSF7.
どれも子供の頃に一度はファインダーをのぞいたことのある機種だ.
久しぶりの再会に懐かしさを感じた.

SPは巻上げやシャッターは問題なし.
露出計は未確認.
ファインダーが修理必要.

SLはいたって快調.
早速フィルムを入れて,先日届いたあぽらんたーを装着してみた.



快調である.
むちゃくちゃいい.
SPも修理に出したら,ベッサTMと十分競合してしまいそうである.

それに比べると,AFのSF7は,ちょっと出番なさそう.
まずは電池を購入してきて基本動作を確認しないといけない.

明日からとりまくるぞ!,といきたいのだが,今日から九州北部は梅雨入りなのでした.
これからは,アジサイ狙いやね.

さて,午後は教育実習生の受け入れ先を訪問して,挨拶と共に大学案内を渡してきた.
担当になった高校が街中にあったので,一仕事終えた後にオリンパスのサービスセンターに寄ってきて,レンズの掃除をお願いしてきた.

先日もシャッターが下りないペンFの修理をお願いしてきたばかり.
ペンF,FTは,ボディはそこそこいいものを見ることがあるが,レンズが以外に難しい.
ま,掃除すりゃほとんどは大丈夫ではあるけどね.



オリンパスのサービスセンターのあとは,もう一軒がんばってカメラ屋さんに足を伸ばす.
冷泉公園脇のゴゴーカメラ店.
こちらは保障切れのカメラの修理を受け付けているとのことで,訪ねてみた.
修理に出したのは,CONTAFLEX



ツァイスのテッサー50ミリ搭載のこのカメラ,シャッターが調子が悪く,肝心のレンズがちょっとカビ気味.
外観はとてもきれいで,セレン式露出計もかなりいいので,レンズも含めて直してもらうことにした.

店のおじちゃんいわく,「いい絵が撮れますよ」とのことだったので,しばらく我慢して待つことにした.

このCONTAFLEXにはあと2本換えのレンズがあり,そのうち一本はコーティングムラが出てきている.
ひとまずボディの修理が終わったら引き取りに行くときにレンズの相談をしてみよう.

にしても,バルナックのライカからはじまって,国産ライカコピー機やペンの状態のよいものまで,店頭はホント目移りした.
レンズもたくさんあるし,長居は無用と早々に退散したのだが,ペンSは後ろ髪引かれる思いが未だにしているのだった…

親父のSPに加え,アメリカからはるばるやってきたCONTAFLEXを手元に置くと,なにか先の代から受け継いで,それを次に伝える間の橋渡しをしている感覚にとらわれる.
モノは,その意味ではそれなりの注意をすれば次に渡していくことのできる比較的容易な対象であるといえるかもしれない.

けれども,精神はどうか.
とりわけ,内面を自ら律する規範意識はどうだろう.
丸山の古層論は彼の死後,かなりの批判にさらされた.
でも,現在の憲法の状況をみると,本質主義うんぬんなどささいな揚げ足取りにしか思えない.

律令制の導入この方,この国では規範を創出しようとする契機は,なし崩しにされてきた.
また繰り返すのか,それとも,丸山によって日本のこれまでの規範意識のなし崩し過程を対象化した現在のわれわれは,再び規範を創出することが可能なのだろうか.

高速から博多湾をながめながら,ということを考えていた(ホントの話).

2007年6月12日火曜日

茶番

世間ではこういうことをいう.

政治の世界では「良識(常識)」と読み替えられる.

そういや,良識と常識がほぼ重なる概念であることを意識したのは,デカルトの方法序説をペンギンブックスで読んだときだったな.

良識や常識の背後には,結局理性が存在するということなのだが,理性はあらゆる人間に備わっているにもかかわらずこの世に誤りが多いのは,その使い方を知らないから.
だから,理性を正しく使うための「方法」を展開する.
それが趣旨だった.

ひるがえって神国の状況をみるに,「理性」というよりもそれ以前,やっぱ「啓蒙」だと思ってしまうことが多い今日この頃.

リンクした議論なんて,中身も中身だし,伝える報道も報道だし,国中がちょっと昔に毒薬をまいたどこぞの宗教団体と化しているような気がしてしまう.
みんなで空中浮遊だ!

2007年6月10日日曜日

ほっと一息

疲れた.
が,明日の準備があるのでまだ休めないのがつらいなぁ.

今日はいろいろと面白かった.
刺激をたくさん受けたので,これをきっかけにもうちょっと前進しよう.

ごめんね

K.K.

って,誰か特定せんと困るわな.
せっかく遠方から来てくれたのに,明日の報告さえなければきっと今頃は…

さ,寝よ.

2007年6月9日土曜日

あぽらんた

先ほど無事到着.

が,いじってる暇はない.
出かけねば.

2007年6月8日金曜日

やっとこさ

報告用レジュメが仕上がる.
直前で疑問点が見つかったが,なんとか解決ハリマオ.

今日は風呂入って,ビール飲んでぐっすり寝るぞ!

2007年6月6日水曜日

昔々の話

とある国で起きたできごと.

そこでは,おまわりさんが「コイツが犯人だ」と思うと,たとえ無実の人でも犯罪者になってしまいました.
また,お上のすることに反対すると,武器を持ったこわい人たちが監視していたのです.

いやぁ,知人が冨山の冤罪事件についてブログに書き込んだばかりだったけど,夕方になってこれまたすごいニュースが飛び込んできた.
自衛隊が市民団体や特定の個人を監視していたってさ.

こげなことが積み重なって,「市民的自由」なんて語彙は教科書からも抹消されていくのかもしれんたい.
なんたって,検定によると沖縄戦の集団自決は軍の強制はなくて,忠良なる臣民の自発的行為だったらしいから.

でも,多くの人にとっては「ふ〜ん」って感じでごわそう.

なんやったか,辺野古への基地移転に反対している人たちに対して,わざわざ海上自衛隊が船を出して威嚇したらしい.
しかも,それは当然だといって,反対派の人たちが中傷されているという記事もかなりショックでしたい.

わざわざ海上自衛隊の船を出す必要性なんてちっともないばい.
海上保安庁で十分やないかと思うたい.

2007年6月5日火曜日

誕生日

今日は親父の誕生日だ.
先ほど電話をいれたのだが,元気そうで何よりだった.

ついでに昔のカメラを送ってくれるように説得.
家は貧乏人の見方ペンタックスを愛用していたので,SPが残っている.
それとオリンパスのペンもまだあるようなので,レンズともども送ってもらうことになった.
さらについでに,高校生の時に購入して自室に飾っていた禁断の惑星に出てくるロビーのフィギュアも送ってくれるらしい.
カメラの件は,かわりにデジカメを購入することで一件落着した.

なにを買ってあげようか.
やはりK10Dかな(祝カメラなんとか大賞受賞!).

しかし,話をするうちに,実はニコンのカメラ(ペンタだけだと思ってたのに)もあることが発覚.
これは手元においてもらうことにした.
ニコンまできたらこっちにきたら,もう破産するがな.

さて,準備,準備.

さすがに

余裕がなくなってきた.
議会資料もまだ読み込んでないよん.

シドアルジョの泥流状態や.
これは城島の流し打ちや.

2007年6月4日月曜日

はまる

ずぶずぶ…

ええと,えらくはまって困ってます,あれやらこれやら.
もう少し関心を狭めて専門バカになれれば生産性が格段にあがることは明らかなのだが.

でも,できないのである.
母親いわく,器用貧乏.
確かに,今でもその性癖は変わらず,というよりも歳を経るにつれてますます実感している今日この頃.

さて,来週末に予定されている当面の目標が済んだら,カメラ片手にぶらぶら散策を楽しみたいものだ.
というか,うずうず状態である.

ああ,再来週が待ち遠しい.

2007年6月3日日曜日

煮詰まる

グツグツ…

来週本番.
準備でパニック.

今さらながら,あれもこれも調べておきたいことがシドアルジョの泥流のように噴出している(って,その後の経過はどうなったのだろう.航空写真を見たときには,絶句してしまったが…)

切羽詰ってあれもこれも噴出することを,これからは「シドアルジョの泥流」と言うのはいかがであろうか.
ちなみに,「決してありえない」ことを福岡近辺では「城島の流し打ち」とも言う.

このままでは来週の報告準備も「城島の流し打ち」か!?
って自分で言ってどないすんねん!

2007年6月1日金曜日

6月1日

もう6月.
1年の半分に突入.

今日はブッダの誕生日.
そしてSgt. Peppers発売から40年とのことだ.

ということで,今CDをかけているのだが,A Day in the Lifeに向かっていく曲のつながりに興奮していた頃の昔を思い出すなぁ.
やっぱりA Day in the Lifeでぜんぜん違うキーの曲を不協和音で強引につなげてしまったGeorge Martinの手腕は,今聴いても鳥肌もんやね.
結局コーダに転用して一気に曲を終わらせてしまうモチーフに仕立て上げてしまったもんなぁ.

一時ビートルズの全アルバム中一番好きだったこともあり,これも正規盤以外にMFSLのレコードや別テイクの収録されているレコードなど,多分LPだけで4~5枚は揃えているはず.
早くレコード・プレーヤーを買いなおして,またターンテーブルにぴかぴかのLPを乗せて楽しみたいものよ.