2007年7月2日月曜日

言葉で奏でる音楽

昨日は吉田秀和の特集を教育テレビで放映していた.
当年93歳.

中原中也からフランス語を家庭教師してもらい,日本における音楽批評を確立し,20世紀現代音楽の日本への紹介と若い日本人作曲家の育成にたずさわり,などなど.

学生の頃から折に触れ愛読していた彼の著書も,最近は読む機会がめっきり減っていた.
チェリビダッケの演奏についてなど,多くを学んだ.

今でもお気に入りの文章は,ホフマンスタールとシュトラウスがどのように薔薇の騎士を作り上げていったか,その往復書簡から読み解いていったものだ.
薔薇の騎士というオペラ,個人的には最も好きなオペラなのだが,形式的にはモーツァルトのフィガロのパロディであるだけでなく,ひとつの時代へのオマージュでもある.
そして,それを象徴するのが元帥婦人であるのだが,オペラの背後にあるこのようなテーマを,彼は往復書簡を紹介しつつ,テーマが結晶していく過程を見事に浮かび上がらせていた.

吉田秀和の,どことなくぶっきらぼうな語り口は,思考をよく練り上げてからつむぎだされた言葉であって,このブログのようにだらだら思いつくままに文字を書き連ねたものとは対極に位置している.
書くものも,比喩によってできるかぎり音楽の素養のない一般読者にも理解させようとする.

初期の批評は,楽譜を用いた分析的な面も目立ったが,徐々にアナロジーを多用することで理解を得ようとする方向性が強くなったように思える.
おそらく,客観的な分析だけでは伝えることのできない生の感覚が音楽的体験(芸術一般)には横たわり,それを伝える次善の手段として,アナロジーや比喩を吟味していくことになったのではないだろうか(なぜ次善なのかというと,生の感覚は直接経験することでしか享有できないから).

言葉の力にかけた人物の,いい言葉を久しぶりに聞いた.
文化勲章も,時として妥当な人選をするみたいだ.

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