2009年4月26日日曜日

大掃除

年の瀬なんて関係ない今頃,大掃除でくたくたになった.
明日,というか今日,ウィーンから友達が来る.
いつもこっちから会いに行くのが普通だったので,とても不思議な気分.

今日,というか昨日は,泊まりにくる彼らのためにダブルサイズの布団をニトリまで買いに出かけてきた.
シーツも買ったりしたら,軽く4万近く飛んでしまったよ.

閑話休題.

「美の巨人」というテレビ番組を見たのだが,この番組,小林薫のナレーションと,番組の中に登場するくだらない黒子のミスマッチはどうにかならないものか.
なにゆえ普通に解説をするだけでいけないのか,何度見ても不満が募る番組構成だ.

テレビは本当に質が低下している.
歴史ものなんて,子供の頃放送していた「歴史への招待」はきちんと古文書を専門家の注釈つきで読解していたものなのだが,先日放映終了した松平アナの歴史番組なんてつまらないドラマ仕立てに仕上げていて,どう見ても大河ドラマの延長でしかない内容だった.

がっかりしたといえば,TBSのニュース23.
こんなニュース番組をやりたくて膳場アナはTBSに来たのだろうか.
結局筑紫の定着させようとしたメディア・ジャーナリズムは個人の資質頼みに終わるいつもの日本のパターンということでおしまいということなのか.

2009年4月25日土曜日

美学について思うこと

「美の壷」が今日の番組で唐紙を扱っていたので見てみることにした.
関西に住んでいた頃,京都の唐長の唐紙を知っていたので,もしやと思ったら,やはり紹介されていた.

1791年に作られた版木がお店で最古の型となるらしい.
とすると,18世紀末,ほぼ19世紀ということだから,これを古いとみるか案外新しいとみるか.
唐紙の歴史は平安時代にさかのぼるらしいので,歴史は古いのだが,なぜ18世紀以前の版木が残っていないのだろうか.

京都は応仁の乱で市中の大半が焼けたというから,それ以前の版木が残っていないのは理由としてわかる.
その後の戦国時代も動乱の時期ということで同じとみなすとしても,江戸以降はどうだったのだろうか.
古い店があったとしても,途中で廃業した結果,版木が伝わらなかったという可能性もある.

なんとなく気になった.

もうひとつ,番組の中で白州正子のエッセイが紹介されていた.
唐長の唐紙を評して「余裕のあるうつくしさ」という言葉で表現をしていた.
これがひっかかる.

「余裕のあるうつくしさ」とは,どういうことなのだろう.
わかったようでわからない表現だ.
目の前に物質として存在している唐紙をうつくしいと思うことはありうるだろうが,「余裕のある」というのはどういうことなのだろう.

日本の美学用語,とりわけ江戸期に用いられていた文人による画評なども,昔読んでいて分析的でないと思うことが多々あった.
なんとなく雰囲気を表すのが美学用語だとしたら,個人的には困る.
見れば分かるというのであれば,語る必要はないわけだし,語って伝わらないのであれば,それもまた語る必要がないのかもしれない.

しかし,すべての芸術的感動には,どうしても語り尽くせないものが含まれていて,その語り尽くせないものは,根源的な感動を経験した者にしかわからないものだとしたら,美について語る意味の中心には語ることでは伝わらないものがあることを伝えることにあるのかもしれない.

それにしても,草刈正雄が谷啓の後継として進行役を勤めるのも,不思議な気分がするなぁ.

2009年4月23日木曜日

たらい回し

週末にウィーンから来る友人を別府に連れて行こうと思い,高速バスのチケットを買いに出かけた.
バスのチケットは往復割引があり,西鉄旅行社でも購入できるとHPに書いていたので天神ソラリアの2階にある店舗に行ってみた.

いちいち日程や行き先を記入してから待たないといけなく,記入を終えたら確認に来た店員が海外旅行を扱うだけなので高速バスチケットは1階の店舗に行けと指示.
1階に降りて正面にあるカウンターで訪ねたらそこはJRチケットしか扱わないとのこと.
通路を挟んで向かいにある店舗に行って,順番待ちのチケットを手に持ちやっとのことで順番が来たらそこでは割引チケットは扱うが,4枚綴りのチケットはバスセンターでしか購入できないとのこと.
やっとのことで4階のセンターまで昇ってなんとか購入.

それにしても,短いスペースを上に下にまわされて難儀した.

送信者 日々是好日


バスセンターに行く途中に遭遇したニモカのキャラ.
このカードのせいでバスカードが今年に廃止になってしまう.

西鉄ほぼ独占状態は,弊害も多々ある.

送信者 日々是好日


カウンターで見たニモカキャラ.
へんてこ動物キャラでサービスの低下をごまかされているような気分がして,すっきりせん気分で帰ってきた.

送信者 日々是好日

2009年4月22日水曜日

タクシー

関西ではおなじみのMKタクシーが福岡に進出して営業を開始した.
福岡空港まで利用したのだが,これまでよりも2〜300円程度料金が安い.

福岡進出を記念してキャンペーンをおこなっていたので,応募はがきにいろいろと感想を書いて送ったところ,昨日5000円分のタクシー券が当選したとのことで送られてきた.
最近懸賞関係がはずれてばかりだったので,ちょっと得した気分ではある.

MKの進出にあたっては,九州陸運局とのゴタゴタや,いつものごとく同業他社とのイザコザが報じられていた.
業界の深刻な事情を一消費者としてどのように受け止めればいいのか,未だ明確な考えがまとまらない.

ひとまずは,もらったタクシー券をいつ使うか思案中ってところ.

2009年4月19日日曜日

SMC Pentax-M 35mm F2

リサイタルに出かける際にLXにつけて持っていった.

いきなり近接35センチ.

送信者 LX


つつじがきれいです.
ここ数日,晴天に恵まれて,外に出るのが楽しい.

送信者 LX


あとは,いつものお決まりの対象で画角と収差の確認.

送信者 LX


ちなみに駅前に建設途中の高層マンションは,デヴェロッパーの倒産により工事が中断されてもう3〜4ヶ月になる.
クレーンもずっとあのままの状態.
このまま世界経済危機の遺産として朽ち果てるままに放置してもらいたいものだ.

ピリスのリサイタル

17日はマリア・ジョアン・ピリスのピアノリサイタルがアクロス福岡のシンフォニーホールで開催されたので,天神まで出かけてきた.
開演前のホールの様子.

送信者 LX


ピリスは個人的には比較的早く知ったピアニストの一人になる.
高校を卒業して京都に引っ越す際に親父から譲ってもらった何枚かのCDに彼女の最初のモーツァルト全集からの1枚が含まれていたからだ.

収められていた曲は定番のもので,ピアノソナタ11番や幻想曲ニ短調,ロンドなど,初心者用だったので時々下宿で聞くこともあった.
このCD,DENONに1974年録音したピアノソナタ集なのだが,当時からすでにPCMデジタル録音で処理されており,粒の際立ったモーツァルトを今でもいい音質で楽しむことができる.

その後,自分で関心を持ってクラシックの曲を聴くようになってからは,ピリスは関心の圏外に置かれるようになった.
実際に彼女の演奏を生で聴いたのも,確かいずみホールでシューベルトの最後のソナタを引いた時だけだった.

ちなみにあの時は金日成が亡くなった次の日(ここまで書いてググって見たら金日成逝去の日は1994年7月8日でリサイタルは翌日だったことが判明)にリサイタルが重なり,暑い昼下がり,安い学生券を買うために炎天下並んだことを想いだした.

今回のリサイタルは,ショパンの生誕200周年を兼ねたプログラムとなっていた.
プログラムの構成が通常のピアノリサイタルとは異なり,チェリストが加わって,ピアノソロと室内楽曲との交代という形で進んでいった.

前半はエチュードをピアノとチェロのために編曲した版を演奏.
次にピアノソナタは3番.
そしてリストの悲しみのゴンドラのチェロとピアノのための版.

後半はマズルカを最初と最後に演奏して,間にチェロとピアノのためのソナタを演奏した.

ピアノだけではなく,チェロを組み合わせてのリサイタルで,ちょっと趣向が面白かった.
それにしても,今週は寝不足が続いていたこともあるのと,チェロと自分との抜群の相性のためか,チェロが鳴りだすとことごとく睡魔に襲われてしまい,大変だった.

自分にとって,そしておそらくはほとんどの聴衆にとってメインとなるのは,やはりピアノソナタ3番だろう.
この曲は,終楽章のヴィルトーゾ風の曲調をどのようにピアニストが弾きこなしていくかがひとつの聴き所なのだが,ポリーニやポゴレリッチによるインテンポで一気に最後まで弾ききってしまう疾走感あふれる演奏が好きなのだが,彼女のアプローチはテンポの幅やアクセントの付け方も結構ロマンティックなものだった.
シューベルトの時も思ったのだが,今回のショパンを聴いても,やはりロマン派のピアノ曲は彼女の弾く曲ではないのではないだろうか,と再び感じてしまった.

3番はアムステルダムでポゴレリッチの演奏を聴いて以来だから,生では11年振(!).
最近,いかにコンサートホールから足が遠のいているかを実感してしまう.
次は5月のツィメルマン.
これはパルティータの2番を弾いてくれるそうだから,期待大だ.

送信者 LX


終演後,家路を急ぐ人たち.
この後,イタリアンを食べて帰宅した.
今日は3番聴き比べ三昧で作業が進まない.

2009年4月16日木曜日

Zuiko 28mm

久しぶりにOM-1を取り出して,これまた久しぶりに28mmをつけて街に出た.
去年の2月に9枚あるレンズのうち5枚を総入替えする大手術の後に復活したレンズだ.
リハビリを終えてはれて日常生活に復帰したということになる.

DNP Centuria 400をつめて単体露出計を片手に撮影.
内蔵露出計は針がびんびんに振れて使い物にならず.

送信者 OM-1


つつじがきれいな季節です.
開放(F2)で撮影してみたのだが,なんねーこのボケ具合は.
旧ソ連製レンズのような描写だ.

送信者 OM-1


つつじをもう一枚.
冷泉公園を通りかかったので立ち寄ってみる.

送信者 OM-1


八重桜.
撮影していたら通りがかりのおじさんに別の場所に咲いている桜がもっときれいだと教えられ移動.

送信者 OM-1


小手鞠発見.
これも開放で試し撮り.
空間が歪んでいるようだ.

送信者 OM-1


小手鞠のすぐ裏にはホームレスの青テントがあって,その反対にはネコがいた.

送信者 OM-1


この辺りは数件の屋台が並ぶところでもある.

送信者 OM-1


八重桜.

送信者 OM-1


送信者 OM-1


冷泉公園を後にして,中州へ向かう.
途中で小さな路地を発見.

送信者 OM-1


通り抜けてアクロスの裏手に出た.

送信者 OM-1


旧貴賓館.
広角だと全体が収まる.

送信者 OM-1


明日はアクロスでピリスのリサイタルがある.

送信者 OM-1


天神.

送信者 OM-1


うまいもん食べて酔っぱらって帰宅した.

2009年4月14日火曜日

レオタックスとシムラー

機材の整理中に久々取り出したレオタックス・メリットとシムラーの3.5/50.
シムラーはカビ跡が取れず手遅れの状態なのだが,試しに使ってみた.

フィルムはKodak Gold 100.
古い味わいが出るフィルムだと思うので,こういう組み合わせにはちょうどいい.

送信者 Leotax Merit


確かF11くらいに絞っていたはず.
なんなんでしょうね,この光源に近いところで反射しているのは.

次は5.6くらいだったかな.

送信者 Leotax Merit


割と撮れてるではないですか.

送信者 Leotax Merit


逆光気味撮影で試してみたが,これもまあまあ.

お次ぎは街撮り.

送信者 Leotax Merit


次は開放での描写.

送信者 Leotax Merit


これはもやっとした描写だ.
この日は春霞も出ていたので,輪をかけてもやもやだ.

別の日に絞って撮影(F11).

送信者 Leotax Merit


きちんと写っている.

カビ跡は逆光での光りの角度で影響したりする程度だから,普段使う分にはさほど影響はないみたいだ.
しかし,開放の描写はふわふわしすぎで,やはり街撮りスナップとして使う分にはいい程度のようだ.

シムラーのレンズは,その後トプコンに名称変更になる.
レオタックスはこのメリットを製造した翌年に倒産.
巻上げをレバーにするなど,バルナック型カメラとしては創意工夫に満ちていたのだが.

2009年4月11日土曜日

お遊び

レンズ遊びとスキャン遊び.

レンズは購入してからあんまり出番のなかったVivitar 2.5/28.
広角のKマウントで,購入後メンテに出して2月に戻ってきていた.
初デビュー.

マウント側後玉がでっぱっていて,デジカメにつけるとミラーに干渉したのでMXに着けてみた.
これがいい具合に収まるのだ.

同じコマを研究室(GT-X970)と自宅のスキャン(GT-X770)で取り込み比較(48bit/3200dpi).
自動露出以外無調整で1枚目が970,2枚目が770.
フィルムはDNP Centuria 400.

まず画角の確認から.
GT-X770での取り込みはネガの余白も含めた設定.

送信者 MX


送信者 MX


桜.

送信者 MX


送信者 MX


2枚目かなり発色がぎらついている.

送信者 MX


送信者 MX


送信者 MX


送信者 MX


送信者 MX


送信者 MX


同じメーカーの上位機種二つを使い,読込み設定も同じにしているのにこれだけ発色が変わって見えるとは.
GT-X770の自動露出設定は,きつめの発色になっている.
GT-X970は滑らかな色調で読み取られているな.

Vivitarのレンズもいい具合に写ってる.
OEM製品なのでもとの製造会社がどこかはわからないが,コシナかトキナーか,そのあたりだろう.
Vivitarレンズは他に同じ画角でF値2.8のが一本と,50ミリが一本ある.
思ったよりもVivitarの写りがよくて,ビビったー.

2009年4月9日木曜日

坂本ライブ

iTunes Storeで来生たかおのシルエット・ロマンスをダウンロードしようとしたら,坂本龍一のライブがプロモートされていた.
福岡でのライブもあったのでなにげに見てみたら,つい先日5日に行われたものがもうアップロードされ,発売されていたのだった.

そういや,坂本が来ると知っていて,久々に行きたいと思っていたのに,書評が終わらずそちらにすべての注意が向いていてすっかり忘れていた.

どうしよう.
買おうかな.

2009年4月6日月曜日

植民地のこと

NHKで二つの番組が放送された.
ひとつが,新しい番組でJAPANデビューとかいうきわめて軽薄な番組名のもの.

台湾の植民地統治について前半で簡単に触れた後,日本の統治が台湾人に及ぼした影響についても生存者をたどり描いていた.

韓国と対照的に,台湾の植民地統治は肯定的に語られる場合があり,今でも一部保守政治家や学者の間で植民地支配の正当性を匂わしながら議論されることがある(例:某東京都知事).

番組は台湾で生まれ育ち,日本式教育の中で同化志向を強く内面化した台湾の人たちをとりあげており,台北一中の同窓会を中心にとりあげていた.
これらの人たちは,当時の台湾人の間では現地エリートとしてそのキャリアを築き上げるはずだった.

だが,彼らのひとりに日本統治時代をどう思うかという趣旨の質問をしたときの表情は,忘れられないものだった.
表情をゆがめて差別の存在に言及するこの人たちを見ると,彼らが生きた時代の苦難に想いをめぐらさずにはいられなかった.

日本語で語るあの人たちは,自分の考えを展開するためにいまだに日本語で考え,語るほうが十全に表現できるという.

国民党支配に比べれば日本統治下はよかった,といった趣旨の発言が時として日本の台湾統治を正当化するものとして引かれることもあるが,敗戦により植民地を放棄し,戦後補償をまともにおこなってこなかった国として,事後処理をせずに過去を美化する欺瞞をあらためて反省すべきときではないか.

一部,時間帯が重なったが,ETV特集で放送された朝鮮人シベリア強制連行の被害者も悲惨な生涯を送っている.
戦争に駆り出され,敗戦にともない強制労働に従事,やっとの思い出祖国に戻ろうとしたときには南北分断状況.
韓国に戻った人たちは北のスパイとみなされ,人生を否定され続けてきた.

東アジアに日本の打ちたてようとした秩序は,多くの人々の生涯を左右したことを日本の社会はもっと知るべきだろう.
日本の政治家や司法にとっての戦後補償は,こうした人たちが鬼籍に入っていくことをただ傍観するだけのものだとしたら,あまりにも志の低い考えだと感じざるを得ない.

2009年4月5日日曜日

茶番劇

終日雨模様.
桜も散りだしてしまった.

送信者 MZ-3


FA43 Ltd.での一枚.
MZ-3にエリートクロームで撮ったのに加え,レンズの良さが光と空気の再現に影響してないかな.
早くLXにFA Ltd.レンズを着けて遊んでみたいものだ.

しかし,フィルム代も現像代もバカにならないなぁ.

仕事ははかどらず.
天候のように澱みきってしまっている.

そんなこんなで新聞やテレビのニュースでは,やいのやいの騒いだあげくの誤報.
お粗末君.

この国は3万を越える自国民の自殺者を救えないのに,仮想敵に対して国民を守るとのたまわっている.
これこそ狂気の沙汰だ.

2009年4月3日金曜日

桜@近所

送信者 LX


LXで写した近所の桜.

団地の風景はこんな風です.

送信者 LX


あまりたくさんの本数はない.

送信者 LX


引いて撮ると背景がいただけないので,どうしてもアップがおおくなる.

送信者 LX


昨日でフィルムを使い切ったので,次はエクター+FA Ltd.の組み合わせで真価を発揮してもらう予定.
しかし,ここ1週間ほどは寒い日が続くなぁ.

2009年4月2日木曜日

筆おろし

先日会議で東京を訪ねた帰りの浜松町駅ホームにて.

送信者 LX


この直前にフォーラムでチェックしてもらったLXの撮り初めとなる.

春ですなぁ.
キャンディーズが懐かしいです.

早くリバーサルをLXにつめて,FA Limitedシリーズのレンズを着けて澄み切った空を背景にいろいろ撮ってみたいのだが...

肝心の作業は,あまり進んでおらず,焦っているところである.

2009年4月1日水曜日

存在の耐えられない軽さ

ニュースにて千葉県知事に当選した森田健作が麻生首相と会談している映像を見る.
両者ともに軽薄そうな表情がとてもよく似ていていた.

送信者 MX


ソマリアに護衛艦派遣とか,北のミサイルを迎撃するとか,脅威をあおり立てて一気に軍事国家への道をあともどりしたい多くの政治家と,それを厳しく批判しないメディア.

職場もそうだが,外の社会もうんざりさせられることが多い.
アラスカに住んでいた星野道夫は生命について深遠な思想を展開したが,現実政治についてどのような考えを抱いていたのだろうか.