2007年7月3日火曜日

宮沢喜一のこと

自民党保守本流の終焉を強く感じさせる.
宏池会は加藤と河野で分裂し,旧田中派もいまや見る影もない.

彼が首相になったとき,野党を支持する人からも一抹の期待が宮沢に寄せられた.
今でも覚えているのは,MITのジョン・ダワーが寄せた一文.
ダワーは,限りなく憲法9条から乖離しつつある自衛隊の現状に対し,宮沢が思い切った措置,それは軍隊としての自衛隊を政府の憲法解釈上も明確に禁じるということだが,それをすることでかつての三木のように党内から引き摺り下ろされるけれども,歴史に名を残す宰相になるかもしれない,と述べていた.

宮沢への各紙の追悼文でも,在任中に自衛隊の海外派遣に道を開くPKO法案を成立させたことを歴史の皮肉と指摘していた.
ダワーの期待は,正反対の方向で実現したわけだが,彼の予期していた党内からの引き摺り下ろしについては,政治改革という茶番劇によって実現したわけだ.

個人的に宮沢のバランス感覚のよさを感じたのは,社会党が崩壊したときに寄せた彼のコメントだった.
いわく,社会党が野党としてあることによって,政治的均衡状態を保っていた部分があり,その点については評価すべきだ,という趣旨の発言だった.

政治にall or nothingを求めることの危険性を,彼は理解していた.
いまや,政治の世界も異なる価値観が表出され,調整されることで均衡状態を達するという,ダールの古典的モデルからはますますかけ離れてきている.
敵を作り上げ,やっつける姿勢に自ら陶酔するような人物,そしてそれを支持する人たち.
政治に異質なものは,内在的というよりも,そもそもその存在自体に埋め込まれているものなのだが,どうやらこの異物に我慢できない輩ががんがん増えているみたいだ.

北朝鮮を非難しているうちに,自らがその写し鏡のような状態になるのであれば,50年代のマッカーシズムみたいだ.
それこそ,宮沢の最も避けたかった事態なのかもしれない.

中曽根よりも長生きして欲しかった,正直.

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