2007年7月30日月曜日

リヒテル

昨晩リヒテルのドキュメンタリーが放映されていたのだが,先ほど夕食を食べながら見通した.
ブルーノ・モンサンジョンという,グールドのドキュメンタリーでも著名なフランス人ディレクターの作品で,それだけでも期待されるものがあったのだが,事実内容の濃密なものだった.

リヒテルは82歳で,1997年8月1日に亡くなる.
日本への来日もその少し前に予定されていたが,体調不良を理由にキャンセルされていた.
結局,1994年の来日公演が最後となり,幸運にも梅田のシンフォニーホールで行われたリサイタルを聴くことができた.

グリーグの叙情組曲集をメインに,ラヴェルとドビュッシーを交えたプログラムのほぼ同じものを今ではCDで追体験することができる.
グリーグの曲を透明感に満ちた音色でリヒテルが紡ぎだすのに,とても強い印象を受けた.
それ以前も以後も,一流といわれるピアニストの演奏を国内外で幾度となく聴く機会に恵まれたが,あんな音色,いままで聴いたことがない.

ドキュメンタリーは,リヒテルの亡くなる2年前,本人の口からその生涯やエピソードを語ってもらいつつ,長い間のパートナーや関係者の証言を交えて構成している.
一見気難しそうに見えるリヒテルの意外な一面を垣間見ることができたり,協演した著名な音楽家への辛らつなコメントなど,見ていてあきさせないものに仕上げているのは,さすがモンサンジョンというべきだろう.

ドキュメンタリーの撮影は1995年なので,リヒテルの来日の翌年になる.
1994年の来日時には,NHKがモーツァルトのピアノ協奏曲を放映してくれて,その録画したものをブログを書きながら見(聴)直しているのだが,わずか1年でリヒテルが急激にやつれている様にあらためて気づかされる.
確か,心臓の病だったと記憶している.

リヒテルといえば,並みいる一流ピアニストにしては例外的にピアノにこだわらなかった人物としても有名である.
弘法筆を選ばずを地でいっていたわけだが,晩年はヤマハのピアノを使うことが多かった.

かつてリヒテルは来日の折に,自ら望んで浜松のヤマハ工場に赴き,自分の使うピアノの製造に携わっているすべての従業員に対し無料で工場リサイタルを開いたとのことである.
自らの使う楽器を製作してくれている人に直接その感謝の気持ちを表したいとのことだったらしい.
その話を聞いたとき,感動した.

父親も工場の製造ラインで日々働いていたが,彼の仕事をリヒテルと同じように評価してくれた人がいただろうか.
旧ソ連でドイツ系の子孫として,政治的に難しい時期を送ったリヒテルだが,そのこととこのエピソードにはなんらかの関係があるのだろうか.

そのエピソードを想起させるような話は,今回のドキュメンタリーにはなかった.
いずれにせよ,最晩年のリヒテルが,他人には想像のつかない深い絶望感に襲われていたことだけは,明らかだ.
そして,その理由は,誰にもわからない.
それが,世界一と称されたピアニストが自らの生涯を振り返って至った自己評価らしい.

完璧を求めるがゆえの絶望なのだろうか.

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