2007年7月31日火曜日

参議院選挙

自民党のタレント候補は苦戦したけれども大体が当選したらしい.
落ちればよかったのにな.

あ,民主党のタレント候補も,目くそ鼻くそ.

早く自民の中から倒閣運動が起こればいいのに.
メディアも世論を盛り上げて,といいたいところだが,メディアの体たらくもひどいからなぁ.

平成維新で公地公民,天皇親政とか言い出す右翼はおらんのかな.

2007年7月30日月曜日

リヒテル

昨晩リヒテルのドキュメンタリーが放映されていたのだが,先ほど夕食を食べながら見通した.
ブルーノ・モンサンジョンという,グールドのドキュメンタリーでも著名なフランス人ディレクターの作品で,それだけでも期待されるものがあったのだが,事実内容の濃密なものだった.

リヒテルは82歳で,1997年8月1日に亡くなる.
日本への来日もその少し前に予定されていたが,体調不良を理由にキャンセルされていた.
結局,1994年の来日公演が最後となり,幸運にも梅田のシンフォニーホールで行われたリサイタルを聴くことができた.

グリーグの叙情組曲集をメインに,ラヴェルとドビュッシーを交えたプログラムのほぼ同じものを今ではCDで追体験することができる.
グリーグの曲を透明感に満ちた音色でリヒテルが紡ぎだすのに,とても強い印象を受けた.
それ以前も以後も,一流といわれるピアニストの演奏を国内外で幾度となく聴く機会に恵まれたが,あんな音色,いままで聴いたことがない.

ドキュメンタリーは,リヒテルの亡くなる2年前,本人の口からその生涯やエピソードを語ってもらいつつ,長い間のパートナーや関係者の証言を交えて構成している.
一見気難しそうに見えるリヒテルの意外な一面を垣間見ることができたり,協演した著名な音楽家への辛らつなコメントなど,見ていてあきさせないものに仕上げているのは,さすがモンサンジョンというべきだろう.

ドキュメンタリーの撮影は1995年なので,リヒテルの来日の翌年になる.
1994年の来日時には,NHKがモーツァルトのピアノ協奏曲を放映してくれて,その録画したものをブログを書きながら見(聴)直しているのだが,わずか1年でリヒテルが急激にやつれている様にあらためて気づかされる.
確か,心臓の病だったと記憶している.

リヒテルといえば,並みいる一流ピアニストにしては例外的にピアノにこだわらなかった人物としても有名である.
弘法筆を選ばずを地でいっていたわけだが,晩年はヤマハのピアノを使うことが多かった.

かつてリヒテルは来日の折に,自ら望んで浜松のヤマハ工場に赴き,自分の使うピアノの製造に携わっているすべての従業員に対し無料で工場リサイタルを開いたとのことである.
自らの使う楽器を製作してくれている人に直接その感謝の気持ちを表したいとのことだったらしい.
その話を聞いたとき,感動した.

父親も工場の製造ラインで日々働いていたが,彼の仕事をリヒテルと同じように評価してくれた人がいただろうか.
旧ソ連でドイツ系の子孫として,政治的に難しい時期を送ったリヒテルだが,そのこととこのエピソードにはなんらかの関係があるのだろうか.

そのエピソードを想起させるような話は,今回のドキュメンタリーにはなかった.
いずれにせよ,最晩年のリヒテルが,他人には想像のつかない深い絶望感に襲われていたことだけは,明らかだ.
そして,その理由は,誰にもわからない.
それが,世界一と称されたピアニストが自らの生涯を振り返って至った自己評価らしい.

完璧を求めるがゆえの絶望なのだろうか.

2007年7月29日日曜日

選挙

まだ投票に出かけていないのだ.
早く行ってこんと.

今日は黄砂が出たのか知らないが,一日中霞がかったような天候だったなぁ.



夕陽も雲越しに直視できた.
光があるといまいち空気にベールのかかった感じを出しにくいから,もう一枚.



続きは投票から戻ってビールでも飲みながら書こうっと.

<続き>
で,大敗した安倍が続投なんてなにが「美しい国」だ.
しかも,「私の国づくりはまだはじまったばかり」だなんて,一体この国を誰の国やと思っとんねん.私物化すな,ボケ.
ちっとも「美し」くない,醜態をさらしやがって.
その点,同じ首相を勤めて同じく参院選で惨敗して首相を辞任した橋本龍太郎はいさぎよかった.
今にして思えば,橋龍の後から続いた小渕~森~小泉~安倍は,ほんと最低や.
保守の良識のかけらすらない.

今回の選挙で良かったなぁと思う点は,ひとつだけ.
東京選挙区で川田龍平氏が当選したこと.
あとは,参議院の選挙制度自体に問題あるし,社民や共産,9条ネットなども得票数の割りに議席を獲得できないので,うんざり.

2007年7月28日土曜日

修理

先日ペンタックスのSPという機種を修理に出したのだが,父親から譲られたカメラは他にもあって,オートフォーカス機能を搭載した初期のカメラでペンタックスのSF7という機種が残っている.
1988年発売ということなので,ちょうど自分が大学入学した年だ.
そういや,息子の入学祝とかわけのわからん理由で買っていたような記憶がある.

こいつをこれから修理に出そうと思うのだが,レンズはカビが生えてるわ,本体のアイピースは欠けているわで,少々悲しくなってくる.
この機種,今や中古だと5000円程度で正常に動作するものが買えるようで,修理に出すとなればオーバーホール代で1万7千程度かかるから,中古の同機種3台分の出費をせねばならない.

前のSPはカメラ史上に燦然と輝く名機なので,容易に中古が買えるにもかかわらず,躊躇なくそれなりの修理費を出したが,こっちは正直考えもんだ.
なおって戻ってきたら,それなりに使ってあげないといけないもんなぁ.

あれもこれもというよりは,少ない機種を長く使い込むのが個人的には好きなので,ますます悩むところではある.

2007年7月27日金曜日

寿司

メガネの修理を依頼するため天神に出かけたついでに,夜は寿司を食べてきた.
4ヶ月振りのひょうたん寿司.
しかも,久々のカウンターということで,めいっぱいうまい魚を食べてきた.
おこぜ,珍しかったし,あわびの踊り食いも一年ぶりか.

左側には酔っ払って韓国料理をひたすらけなしまくる親父の二人組み,右側には単身赴任中の父を訪ねて一人やってきた子供を連れた父と子.
そんな位置関係で食べていたのだが…

左側の親父は日本酒をカウンターにこぼしまくり,こぼれた箇所をばんばん叩くもんだから,日本酒が飛び散ってきてうっとうしいのなんのったらありゃせんかった.
「キムチなんてわけわかんないもの食べて,あんなの料理じゃない」とか,なんかよくわかんない韓国料理批判を展開していたなぁ.

あんま酒しか飲まへんもんだから,店主が「そろそろにぎりでもどうですか,もうすぐネタがなくなります」って,結局飲んだ暮れの親父やんけ.
ちっとも寿司食べてへん.

右側の父と子は,カニは頼むは生牡蠣は頼むわで,小学生のガキにそんなん食わせてどないすんねん.
俺のガキの頃は一年に二度しかすしは食べられなかった.
それも正月と盆に親戚の家を訪ねたときだけだから,結局自宅では食べてへんわなぁ.

ツレ曰く,「すし屋のカウンターは人生の縮図である」.

ん~,それって床屋ちゃうんかな?

2007年7月26日木曜日

けが

バドミントンしててペアを組んでた人のラケットが眉間を直撃した.
先週はペアを組んでいた人の打ったシャトルが右目を直撃.
偶然とはいえ,二度も続けて右目を痛めるのは,困ったものだ.

明日は早速壊れたメガネの修理のために天神へ行くつもりなのだが,目の状態が悪くなればまずは眼科にいかんとあかん.

しかし,直後は眉間から血が出て,今も赤くはれ上がっていて,その様あたかもヒンズー教徒のようや.
写真撮ったけど,アップせんとこ.

2007年7月25日水曜日

夏到来

今日は暑かった.
昨晩から暑く寝苦しかった.

空もすっかり夏模様で,入道雲ももくもく.



午後は天神に出て,資料を探す.
緑のないコンクリートで覆われたところを歩くので,汗がどっと噴出した.

夕焼け空.



秋の気配がただよう晩夏が好きなのだが,まずは夏を乗り切らねば.
とりあえず,ビールかな.

2007年7月24日火曜日

コニカC35


先日ふとしたきっかけで手元に来ることになった.

コンパクトカメラは,実家から送ってもらったオリンパスペンで十分だったのだが,これはデザインに惹かれた.
一目ぼれってやつです.

しかもペンと違ってこっちは二重像を合致させてピント合わせするレンジファインダータイプ.
レンジファインダーでピントあわせができるコンパクトカメラなんて,驚き.
一眼レフの登場以後もしばらくは思いもよらぬところでレンジファインダーが生き延びていたことを知ってちょっと感心.

通常の距離合わせ以外によくわかんないメートル/フィート表示があったので当時の取扱説明書を誰かネット上で公開していないか検索をしてみた.
コニカC35のグーグル検索は,一番初めにコニカ・ミノルタのページがヒットしたので,これをクリックしてみたらコニカは自社製品の取扱説明書をPDF化して公開しているのだった.

コニカC35

初代の機種が1968年発売ということで,ひとつ年上だけどほぼ同年齢.
万博2年前で,戦後モダニズムが高揚を迎えつつある時期のデザインだけあるわなぁ.

それにしても,自社製品の歴史をネット上でその関連資料とともに公開しているコニカの姿勢は,とても好感がもてる.
かえすがえすもデジカメ台頭によるコニカ・ミノルタの消滅が惜しまれる.
ニコンなんてあまりにもたくさん製品があるので,同様のことをしようとしたら膨大な作業が必要になるだろうな.

でも,ネット上のカメラ各社の博物館というのも,悪くないと思うのだが.
その機種で撮影した写真もネットであげられるし,バーチャルで操作可能にして,シャッター音なんて聞こえるようにしたら面白い.

2007年7月23日月曜日

ウィンブルドン

今年の男子決勝の再放送を昨日録画していたので,さっき見てみた.

昨年とは異なり,今年はフルセットにもつれこんだため,本放送時には翌日の講義もあり最後まで見ることができなかった.

が,なんと途中編集している.
4時間近くかかった今年の決勝をほぼ半分の2時間に縮めていたのだ.
あああ,なんてこった.

これなら本放送時に無理して最後まで起きておけばよかった.

今,BS2ではプロムスで演奏されたワルキューレを放送していて,これまた見出したらとまらなくなってしまった.
確か,プロムスは昨年から4年越しの企画でワーグナーの指輪を毎年一作ずつ上演するんだっけ.
初年度のラインの黄金はラトルが振ったはずで,てっきり毎年ラトルがベルリンフィルを引き連れて振るもんかと思ってたらそうじゃないみたい.

ドミンゴがジークムントか.
がんばってんなぁ.
でも,あと2時間くらいあるはず.
もう寝んとあかん.

2007年7月22日日曜日

人間国宝

重要無形文化財保持者,いわゆる人間国宝の今年度の認定があった.
今年は長くその芸に接してきた人たちが受賞することもあり,人間国宝のあり方について改めて考えた.

狂言の野村万作,文楽の太夫,竹本綱太夫に三味線の鶴澤清治.
学部生の頃からなので,かれこれ15年,機会のある度に接してきた人たちだ.

野村万作はいまやすっかり息子である萬斎のパパとして認知されている.
かつては,兄である萬(その前は父の名をついで万蔵,さらに前は万之丞)とともに舞台に立つことが多く,兄が少ない動きで多くの情景を目の前に現すとすれば,万作は技巧派として演じるのが難しい釣狐や木六駄を得意としていた.

阪神大震災の直後,兄の万蔵とともに生駒で演じた「石切」は,すばらしかった.
兄の万蔵演じる妻に手を引かれる盲の役を演じたのだが,真に迫る動きだった.
万蔵の静に対する動の演技がかみ合い,どちらが欠けても成立しない舞台といえよう.

しかし,息子の萬斎襲名をめぐり現在は絶縁状態のようで,二人がともに舞台に立つことはもうないのだろう.
それぞれの息子はどうも狂言以外の活躍がメインになってしまって,かつて彼らの舞台を見たとき,その芸に失望したことを覚えている.

万作はいつかは人間国宝をもらうに値する芸だと思っていたけれど,もう彼らの息子の時代になると,演じる狂言役者も見る観客もレベルが落ちていて,名人なんて言葉は消滅してしまうのだろう.
形骸化した伝統芸能を形骸化した認定制度によって維持していくというのも悲しいものがある.

世襲によって芸が受け継がれていく狂言に比べると,競争原理が導入されている文楽の状況はまだマシかもしれない.
今回は二人が人間国宝に認定されたが,少なくとも太夫ではあと一人,認定されてもおかしくない嶋太夫が残されている状態だし,三味線も野澤錦糸や鶴澤燕三など次代の有望株がいる.
今回認定された三味線の清治氏については,誰も疑う余地のない芸を持つ人だ.

ただ,認定についてやや問題なのが綱太夫だろう.
かつて病気をしてから,どうにも声が出ず,近年の舞台は調子が上がってきていたとはいえ時に聞くのがつらくなるような舞台もあった.
好意的に解釈すれば,先代の綱太夫の芸を伝えていく伝承者としての役割に積極的な評価を与えたということだろうか.

文楽自体,歌舞伎や能狂言に比べると,存続自体の危機に瀕しているといえる.
華々しい活躍の舞台が歌舞伎や狂言役者にはあるのにくらべて,人形遣いが大河ドラマに出るわけないし,文楽の人形遣い,太夫に三味線弾きは,文楽に専念するしかない.
それが他の伝統芸能のように,安易な異業種交流に流れることを防いでいるともいえるのだが.

あぁ,文楽見たいな,久々に.
関西に住んでたときはよかった.
神戸から1時間で文楽劇場に行けたもんな.
仕事の後でも見に行けた.

2007年7月21日土曜日

オランダ史研究会

先ほど帰宅.
くたくた.

いろいろ悩んだが,結局愛機PEN Fを持っていった.



朝から出かけたので,空港で水分を補給.
ご当地の牛乳を販売していたので一本空ける.



空港はご当地広告もたくさんあって,博多といえばこれ.



ご当地広告も,井口まで登場しているとはしらなんだ.



しかし,この広告初めて見たが,博多以外でも見れるんかね.

夏休みに入ってはじめての週末のせいか,やたらとガキんちょが多かった.
機内も騒々しいのなんの.
離陸したら怖い怖いと連発していたよ.



会場が早稲田の大久保キャンパスなので,東京に着いたら新大久保までえっちらおっちら出かけた.
途中で見かけた参院選のポスター.



これ以外にも,丸山珠代のポスターもあって,日本人でよかったみたいなキャプションがあって,もううんざりや.

ところで,肝心の研究会は,オランダの都市デザインに関する報告で,わざわざ東京まで強行軍で聴きに行ったかいがあった.
とにかく,初めてオランダを訪ねた10年ちょっと前から,至る所で公共工事をしているのだが,その背後にどのようなロジックが潜んでいたのか,どのような過程を経て工事が行われているのか知ることができ,面白かった.

にしても,今日は疲れた疲れた.
シャワー浴びて寝よ.

東京出張

明日はオランダ史研究会に出席するため,東京を訪問.
しかし,日帰り.
正直,一泊したいのだが,それをするときっと衝動買いに走ることがほぼ確実のため,しんどいけれども福岡に戻ってくる.

明日はどのカメラを携えていくか,お天気と相談ってとこかな.

2007年7月20日金曜日

宮本顕治

宮本顕治が亡くなった.
西日本新聞に記載されていたコメントでは,中曽根とハマコーのコメントがなかなかだった.

「敵ながらあっぱれ」といった表現なのだが,安倍のいつもながら淡白で,きっとなにも思いつくものがないためにとりあえず出したようなコメントよりもはるかに面白かった.

かつてハマコーが予算委員会だったかの議長になったとき,宮本顕治を殺人者呼ばわりしたのみならず,その名前を「宮沢賢治」と呼んだことは,今思い起こしてもハマコーらしいエピソードだった.

自民と民主による「二大政党制(?)」が進むにつれ,共産党や社民党の議席は伸び悩んでいる.
かつて宮本顕治による社共共闘が70年代の政治,とりわけ地方レベルで功罪入り混じった結果を残したのだが,歴史を持つこれら二つの政党が,このまま国政の表舞台から消えてしまうことは,政治の舞台に表出される利益が非常に狭められていく可能性を示しているようで,正直懸念してしまう.

参議院選挙が近づいているが,緊張感と責任感にまったくかける与党を過半数割れにするためには野党に投票せざるをえないのだが,さて,比例の政党名を民主・社民・共産のどれにするか,悩むところでもある.

2007年7月18日水曜日

K10D拾遺

あ,カルティエ=ブレッソンの書込みをしている間に,ぺろぽろ氏がコメントを寄せてくれていた.
一昨日届いたK10Dについて,発売元のペンタックスからお詫びのニュースがあったことを知らせてくれた.

それによると,K10Dのボディキャップ,本来黒いキャップが着くはずだったにもかかわらず,通常仕様の白いキャップをつけて出荷してしまったみたいだ.

すっかり気がつかんかった.
感謝感謝.

K10D使ってみたところ,いやぁ,さすが上位機種だけあってすごい.
オートフォーカスも格段に早く,シャッター時の衝撃も軽くなっている.
画質もあがっているし,さすがグランプリ受賞機.

ところで,ウルトロンの40mmを購入して夏のボーナス戦線は終了したことも付け加えておこう.
ウルトロン,ええねぇ.
プロミネントでも買うて,50㎜も楽しみたいな.

カルティエ=ブレッソン

連休中天神に出かけたおりに,久しぶりに丸善を訪ねた.
ジュンク堂だと人が多いので,人ごみを避けてゆっくり本を眺めたかったからあえて丸善.

カルティエ=ブレッソンのポートレイトをまとめた写真集が刊行されていたので購入.

ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集




表紙がベケットやねん.
しかも,イントロをジャン・リュック=ナンシーが書き,全体にピリリとスパイスをきかせている.

著名人のポートレイトが多いが,何枚かは彼が世界各地で撮影した無名の人たちも載っている.
何枚かは,カルティエ=ブレッソンの代表作に数えられたものだ.

年代を通してみて気がつくことも多い.
30年代頃,初期のポートレイトはフォーカスも結構甘いものが多いのだが,時代が下り,カメラも技術的に改良されるにつれシャープな描写が増えてくる.
また,サルトルやカポーティの写真など,その人物にとって代表的なものとされている写真がある一方,モンローなど意外な人物のポートレイトも残されている.

個人的には,マルケヴィッチ.
それにポール・クローデルが印象に残っている.
マルローがあれば,カルティエ=ブレッソンがどのように写したか,空想を働かせるのも楽しい.

この写真集を出した岩波からは,カルティエ=ブレッソン写真集成という大部の写真集も既刊だ.
次に狙うとすれば,これかな.

2007年7月16日月曜日

チェリビダッケ

タワーレコードのポイントカードがたまったので,先日近所の店を訪ねてみた.
DVDを購入しようと思っていたので売り場を見ると,チェリビダッケの
トリノ・ライヴ映像集成が発売されていた.

第二次世界大戦直後,ベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトヴェングラーが,ナチとの関わりを連合国軍から疑われ,指揮活動が禁じられていた時,彼に代わってベルリン・フィルの式台に立っていたのがチェリビダッケである.

フルトヴェングラーの死後,ベルリン・フィルの常任指揮者の座をカラヤンに奪われることとなったチェリビダッケは,その後長い間特定のオーケストラの指揮者におさまることなく,各国を転々とする.
その辺りの事情は評伝 チェリビダッケに詳しい.

とはいえ,時を経るにつれ特定のオーケストラとの結びつきも徐々にできてくる.
1950年代から60年代は,イタリア国営放送交響楽団への演奏が放送用音源として比較的多く記録されている.
学生時代に海賊盤として発売されていたブラームスの交響曲全集を今はなき河原町三条の十字屋の輸入盤コーナーで手に入れ,聴いたときの興奮は今も鮮やかに思い出せる.

演奏は一回きりのものであるとして,生前は録音した音源の発売に頑として反対していたのだが,それがかえって海賊盤の流布を招いたことも今は昔の話である.
チェリビダッケの死後,遺族は海賊盤の横行を止めるという名目で,彼のライブ音源の発売を認め,その演奏が正規盤のCDで入手できることになったのは,聴衆のわれわれには好ましいのかもしれないが,本人はどう思うことか.

イタリア国営放送局はローマをはじめ,イタリアの主要都市に存在していた.
そのうちのひとつ,トリノでの演奏が映像に残っていることは,知らなかった.

晩年のチェリビダッケは,独自の禅解釈と結びついた演奏に抵抗感を示す向きも多い.
しかし,70年代後半までの彼の演奏は,晩年のように極端にテンポを落としたものではなく,その意味での聴きやすさは確かにあるといえよう.

今再生している演奏は,ブルックナーの第9番.
チェリビダッケの十八番ともいえる作曲家だ.
すでに各パートに対する緻密な演奏への要求が聴きとれる.
残念ながらオーケストラがそれに応えていないように思えるが.

梅田のシンフォニーホールで聴いたブルックナーの4番は,いくつかの楽想を断片化して,その中で室内楽のような緻密さで音を紡ぎだしていく手法に本当に驚いた.
ブルックナーという作曲家自身,古典的な形式感覚には最後まで到達できなかった作曲家であり,その意味で彼の曲は各楽想の断片が連なることでやっとのこと終楽章までたどり着き,やっとのことでコーダまで達するというものともいえる.
その意味では,チェリビダッケにとってブルックナーは彼の望む曲の解釈に馴染みやすい作曲家であったことは確かだろう.

初来日時の公演も最近発売されたようなので,後日こちらも聴いてみたいものだ.
彼の振るブラームスの4番は,フルトヴェングラー亡き後のこの曲の解釈としては,クライバーの名演と並ぶ独自の位置にあるだろう.

レンズ

今朝ペコちゃんにて注文したレンズとK10Dグランプリパッケージが到着.
パッケージの様子.



ボディは金文字.
慣れ親しんだK100Dと比べると,一回り大きい.



K100Dもマイナーチェンジしたモデルが出ているみたい.
ペンタックスよ,これからどうなるのだ!?

レンズはFA1.8/77 LimitedとDistagon 2.8/25.



FA1.8/77は,ジャカルタ滞在時,バリに行く前にぺろぽろ氏から借りて使ったところ,すばらしい描写やったので,ボーナスを待っていたところだ.
期待に違わぬ写り.



これは,ええなぁ.

Distagonも楽しみや.
にしても,親に仕送りした分を差っぴくと,ほとんど残ってへんやんか,マイボーナス.
ま,おかげでいろいろ勉強になったので,これからはポリシー持って楽しめそうや.

瓜ラッキョ

夏の漬物みたいだが,ホントは瓜八居.
いやいや,「ウリ・ハッキョ」です.
ハングルで,「私たちの学校」という意味.

今日はアジア美術館の併設ホールで上映された「ウリ・ハッキョ」を見てきた.
詳細は,眠いので明日以降きちんと書きます.

まずはおやすみ.

2007年7月15日日曜日

台風続報

断続的に雨が降ったり止んだり.
日中はサンダルを買うついでに食材を買ってきた.

台風は夕方それなりに雨を降らせてきたが,思ったよりもひどくなっていない.



風が強いけれども,数年前の台風と比べてもまだおとなしい.

恵比寿ビールを買おうと売り場に行ったら,キリンがとにかくたくさんビールを出しているのにあらためて気がついた.
子供の頃に親父が飲むビールは,キリンと相場が決まっていた.
その頃は,栓の裏側がコルクになっていて,そこについた泡を舐めては,子供心にその苦さのなにがおいしいのかわからなかった.
ついでにその後コルクをむしるのも楽しみだった.

今改めて飲んでみるに(クラシックラガー),あの頃の苦さがどこにいったのかわからない.
しかも,スーパードライなんてビールとはとても思えないあっさりした味(あれをキレがいいとは味覚の違う人種の表現だろう)が主流になってからはなおさらだ.

正直,日本人ってビールの味をわかってるんだろうか,と思うことしきりである.
やっぱ,ビールはベルギーやオランダ,チェコですがな(+ドイツ).

そんな麒麟麦酒だが,新しい製品をふと試したくなって,二種類のビールを購入した.
まずは,ニッポンプレミアム.



思っていたよりもおいしかった(特別出演はトプコンのAUTO100).
ただし,ネーミングはいただけない.
安倍普三がいいそうな名前で,しかもニホンじゃなくてわざわざ小さい「ッ」を入れているのが鼻につく.
どうせニッポン言うなら,ニッポン一とかニッポンチャチャチャくらいにせんかい!
安倍と同じくらい軽薄極まりない.

というわけで,減点65くらいかな.

次はブラウマイスター.



これもまぁまぁではあるが,ネーミングがいまいちなのは同じ.
なんか意味のあるようでないようなドイツ語の名前をつけるなよ,といいたくなってしまう.
スーパードライなんてグラスに注いだその瞬間に揮発するんじゃないかってネーミングだし,ビール会社のセンスのなさはホントに嘆かわしい.

ビール飲んでたら,早くオランダ行って気分転換したくなってきたなぁ.
そろそろ夏野菜が安く手に入るので,おいしいラタトゥユを作って,うまいビールやワインを飲みたいものだ.

2007年7月14日土曜日

台風

福岡も昼頃に暴風圏に入ったようだ.
今の雲の具合は,こんな様子.



でも,飛行機が離着陸をしているので,交通に支障はない.

今日は夜中に祇園山傘のハイライトがあるが,ちょっと出かけるのは無理だろうなぁ.
今年こそと思ったのだが,まぁ,まだしばらく福岡にいそうなので,次の機会とするか.

ZEISSのこと

ジャカルタ滞在以来すっかり世話になっているぺろぽろ氏のブログに,ZEISSがKマウントのレンズを発売するとの情報が載っていた.

なんてこったい.
ボーナスの使い道を考え直さないと…

にしても,ZEISSのマウントの名称,昔の名称を使ってくれんかなぁ.

台風の近づいている今晩は,雲の流れが速い.
ベランダから撮ってみたが,明暗のコントラストに苦心した.

2007年7月13日金曜日

桜島

父親から送ってもらったカメラを鹿児島の業者に修理に出していたのだが,今朝カメラが戻ってきた.



ペンタックスSP.
庶民の買える一眼レフということで,当時は爆発的に売れた(らしい).
庶民の親父もその恩恵に与ったということだ.
カビの生えていたレンズもきれいに掃除できている.



鹿児島の業者にわざわざ送ったのは,ペンタックス修理に実績のある業者らしかったから.
カメラを1台オーバーホールして,レンズ2本清掃してもらって約3万円.
同じ金額でカメラからレンズをすべて買い替えができてしまうのだが,こればっかりはそうはいかない.
これから使い込むのが楽しみである.

さて,修理を頼んでいた業者から届いた荷物には,なぜか焼酎が同梱されていた.
どうやら注文をした客から毎月不定期に選び出し,プレゼントをあげているらしい.
しかもその名が桜島.
ち~とベタやなぁ.



というわけで,恵比寿ビールのストックがない今晩は,焼酎櫻島を飲んでいるのでした.

今週も終わり

長いようで短く思えず,やはり長い一週間がやっと終わりだ!
うれしいなぁ.

今週は月曜から不愉快な思いをさせられたから,この週末は気分転換にのんびりしよう.
部屋の片付けとレンズの清掃,それに本を買ってきてゆっくり眺めたい.

先日,といってもヤフードームに行ったときだからもう2週間前か,久しぶりに丸善に立ち寄った.
いきなり目に飛び込んできたのが「アンリ・カルティエ=ブレッソン」のゴチ.



雑誌のタイトルがpenで,しかもカルティエ=ブレッソンの文字があったので,てっきり写真関係の雑誌かと勘違いした.
手にとってみると,ちょっと大人向けに小洒落たデザインの製品などを紹介するものだった.

街角のスナップは,誰もが写すことのできる被写体だけれども,それを初めて試み,しかも現在に至るまで彼のように撮ることができないレベルで行ってしまった最初の人で最後の人.

雑誌に目を通してふと気になったのが,彼は案外世界各国を廻って撮影をしているということ.
インドやバリなど,どのような視線を投げかけていたのか,興味がわいてきたので,週末はこれも書店で探してみる予定.

2007年7月12日木曜日

眠い

結局6時近くに寝たのだが,8時半頃にお向かいの中学校からの騒音で起こされた.
今日は一日つぶれることがほぼ確定.

寝れん

暇つぶしに書き込んだら眠くなるだろうか…

温泉行きたい.

朗報

ここ数日職場でうんざりすることが多かったのだが,今日は自宅でひたすら掃除をしたり洗濯をして過ごした.
週末に研究会が入ると,しわ寄せが必ずくるよなぁ.

来週の土曜は東京に出張.
日帰りにするか,一泊するか.
それが問題だ.
泊まれば翌日絶対銀座や新宿をうろつくことは目に見えている.
K10D特別モデル入荷の案内が届いたばかりのこの時期に東京出張とは,欲望の渦の中に身を置くヒエロニムスの心境だ.

さて,今日はひとつうれしい知らせが舞い込んだ.
学生から内定の知らせを受けたのだ.
めでたい.
祝わんとあかん.

自分は留年したので,二度就職活動をした.
しかし,二社しか受けなかった.
しかも,その二社である某○日新聞も亜○亜研究所も,最終面接まで順当に(?)残り,一歩違えばそのどちらかで今頃働いていたはずで,そう考えると人生のひとつ大きな岐路だったとあらためて思うことが多い.

入学が一緒だった友達は,バブル最後の年で右派右派就職.
翌年から,がたっと状況が悪化,その後10年に及ぶ氷河期に突入した.

バブル世代はいつまでも新人が入ってこず,やっと入社してきたと思ったら氷河期を勝ち抜いた人材からはアホ呼ばわり.
今や早期リストラの対象にまでなっている(悲哀).
団塊のあんぽんたんのほうがよっぽど社会に害を及ぼしているとしか思えないのだが,これって自己正当化でしかないだろうか.

2007年7月11日水曜日

新しき慰みモノ

おととい,中古屋で購入したレンズが届いた.
最近はM42ゴッコの泥沼にはまって帰宅してからが楽しいのなんのって.
こんなんなかったら,あんな仕事場で心身をすり減らす一方じゃ.

で,届いたのがフレクトゴン.



広角よりの35ミリで,これが使い勝手がいい.
先月購入したDistagonの35ミリには,ちと劣るが,普段使いには至極便利だ.

ツァイスのレンズは,これからKマウントが発売されるらしいので,貯金しておかんとあかんにもかかわらず,過去のレンズでずぶずぶや.

今日はもうひとつ.



キューピー,ミーツ,ブースカ!

スラバヤから留学しているインドネシア人の学生と週に一回会って話すのだが,先週あったときにキューピー工場を見学に行くと話していた.
そこで,キューピー人形を買ってきてもらうようにお願いしたところ,律儀に購入してくれたものを本日無事受け取ったというわけである.

サガン鳥栖で有名な鳥栖にキューピーの工場があるらしく,いろいろグッズも販売しているらしい.

一時はコレステロール悪玉視のせいで売り上げも低迷していたみたいだが,なんたってこの人形のキッチュさといったら,ボンカレーの和服のおばさんと同列か,オロナミンCの大村昆に匹敵するだろう(なんのこっちゃ,by アケミ).

2007年7月10日火曜日

2時間ほど前だが,猛烈な雨が降った.
ジャカルタのスコールを思い出した.

手元にデジカメがなかったので,ソ連製カメラで一生懸命撮影を試みたのだが,さて無事に写っていることか.
ロシア革命50周年を記念するロゴが入った世界史グッズもので,オーロラ号やクレムリンがシンプルにデザインされている.

雨上がりの空はよどんでいるが,汚いものが一気に流された感がある.
案外,さわやか.

職場でも同じような雨が降ればいいのに,と思うのだが,一歩間違えると「粛清」か.

とはいえ,うんざりすることが多い今日この頃.
せめて,ここでも知的でウィットに富んだ話をしてみたいものだ.

が,それが可能ならこんな事態になっていないってか.

2007年7月9日月曜日

プラム

5~6年前に実家が引っ越すまで住んでいた家には,庭にプラムの樹が植えてあった.

毎年夏になるとたわわな実がなり,小学生の低学年の時には学校へ差し入れにいくほどだった.
食べ切れなかったり,酸味の強い実は煮詰めてジャムにしていた.

おととい近所のジャスコに出かけたとき,プラムを売っているのを見かけ,懐かしく思って購入した.



さすが売り物だけあって,甘みが強く,なによりも赤い発色が鮮やかだ.
おいしかった.

今両親の住んでいる家には2~3度しか泊まったことがない.
しかも,どこか他人の家に泊まる気がして落着かない.

大学進学して一人暮らしをするために幼少から育った家を後にしたのだが,今でも実家というと記憶が庭のプラムの樹と一体になっている.
引越しに際してこの樹だけ移植できないか両親に再三お願いしたのだが,結局だめだった.

祖父が私の生誕を記念してプレゼントしてくれた樹だったらしい.
甘くて酸っぱい子供の頃をその味のように思い出す.

2007年7月8日日曜日

名古屋に日帰り

研究会のため名古屋に日帰り強行軍.
疲れた~.

報告は独立後インドネシアの法形成に果たしたオランダ植民地期のアダット法研究についてだった.
報告の内容はややこしいので置いといて,いろいろな研究者と知り合いになれたことはわざわざ名古屋まで出かけたかいがあった.

しかし,先週の研究会の後の打ち上げはネパール料理だったのだが,なんの因果か今日もネパール料理だった.
ネパール料理はしばらくいいや.
ナンはおいしいけど,いまいち口にあわん.

今回の名古屋行き,往路の飛行機がなんと悪名高きボンバルディア!
途中で引き返すか胴体着陸するんじゃないかと思ったが,なんとか無事に到着した.

帰りは737だったが,今度は出発が30分ほど遅れた.
遅れそうになって急いで空港に着いたら拍子抜けのパターンでした.

味噌煮込みきしめんを食べて,八町味噌カレーを買って帰ったのがせめてもの救いか.
それにしても,中部国際空港は,関空よりも閑散としていた.
ほとんどトヨタのロジスティックスのために巨額の資金を投じて空港を作ったとしか思えない.

2007年7月7日土曜日

トプコンレンズ続編

先日購入したTopcorのレンズがかなり良く,最近トプコン関連製品の情報をネットや本でボチボチ集めていた.

早い話,トプコンのカメラを買っていくつかのマウントに対応しておけば,どんなトプコン製のレンズでも対応できるのだが,これが想像以上に中古相場が高かった.
どうやら東京光学のレンズに魅了されている人はそれなりにいるみたいで,新参者が出る幕ではないようである.

さて,トプコンのカメラを買ってレンズを集めるとなると,かなりの出費を覚悟しないといけないのだが,別の手段でひとつレンズを手に入れることができた.



手前にあるのはPen F用の露出計とZeissの露出計.
Zeissのはセレンなので電池要らず.
ま,露出は極端にダウンorアンダーでないかぎり,後で補正できるから前後1程度はオッケー.

カメラはLeotax Merit.
戦後日本でも各社からたくさん製造されたバルナック・ライカのコピーだが,巻上げ部分がレバーになっている普及型のMeritというモデルを購入した.
Leotaxは,業績が悪化して自社製のレンズに交代する前は,標準装備で東京光学のレンズをつけていたらしい.



トプコールのレンズ,描写だけでなく,その独特のデザインも魅力的だ.

マウントがLマウントになるので,このカメラを買ったおかげでバルナックのライカにも使える.
逆に手元にあるIIIb用に買ってあるフォクトレンダーのLマウントもこっちのボディに使えてカメラ遊びの幅が広がるということだ.

トプコンのREとかDとか,広角レンズを付けたモデルが欲しいのだが,しばらくはこれで遊んでおこうと思う.

それにしても,最近露出計なしとか,バルナックとかを使って遊んでいるので,なんか撮影がかなりアバウトだよなぁ.

でも,カルティエ=ブレッソンとか,中山岩太の写真とか見ても,結構フォーカスが甘かったりするものがある.
かえって,それが雰囲気をかもし出しているので,見習う点が多々あることに撮影を始めてから気づくこと多し.

百聞は一見に如かず.
カメラなんて,写してなんぼの世界やもんね,ホンマ.

ということで,明日は名古屋の研究会に出かけるので,Pen F持参でいってきマンモス.

2007年7月5日木曜日

晩御飯のおかず

昨日の話しだけど,おかずに豆腐を買ったのだよ.
ふと目にとまったのがこの男前豆腐マサヒロ.



ゴルゴと矢吹ジョーを足して二で割ったような顔にただならぬキッチュさを感じた私は,気がつくとマサヒロをわしづかみにしてレジで仁王立ちしていたのであつた.

マサヒロの味は,クリーミーな舌触りで,チーズを食べている感触.
好みは分かれるだろうが,北海道で野郎が集まり作っている豆腐ということで,そこそこ名は知られているらしい.



パッケージの裏なんて,男だもん.
なんか本宮ヒロシちっくや.

2007年7月4日水曜日

外出

今日はこれから福岡市の総合図書館で資料探し.
帰りに修理に出していたContaflex IVとPen Fのレンズを引き取りに行く予定.

なにかと出費がかさむが,今のうちにしっかりメンテしておいて,後々まで丁寧に使用するほうが結果的には安く上がるという判断なのだが,Contaflexの修理代なんて,製品本体よりも高い…

しかもこんな日に限って大雨洪水警報が発令されているから,なんてこったい.

2007年7月3日火曜日

宮沢喜一のこと

自民党保守本流の終焉を強く感じさせる.
宏池会は加藤と河野で分裂し,旧田中派もいまや見る影もない.

彼が首相になったとき,野党を支持する人からも一抹の期待が宮沢に寄せられた.
今でも覚えているのは,MITのジョン・ダワーが寄せた一文.
ダワーは,限りなく憲法9条から乖離しつつある自衛隊の現状に対し,宮沢が思い切った措置,それは軍隊としての自衛隊を政府の憲法解釈上も明確に禁じるということだが,それをすることでかつての三木のように党内から引き摺り下ろされるけれども,歴史に名を残す宰相になるかもしれない,と述べていた.

宮沢への各紙の追悼文でも,在任中に自衛隊の海外派遣に道を開くPKO法案を成立させたことを歴史の皮肉と指摘していた.
ダワーの期待は,正反対の方向で実現したわけだが,彼の予期していた党内からの引き摺り下ろしについては,政治改革という茶番劇によって実現したわけだ.

個人的に宮沢のバランス感覚のよさを感じたのは,社会党が崩壊したときに寄せた彼のコメントだった.
いわく,社会党が野党としてあることによって,政治的均衡状態を保っていた部分があり,その点については評価すべきだ,という趣旨の発言だった.

政治にall or nothingを求めることの危険性を,彼は理解していた.
いまや,政治の世界も異なる価値観が表出され,調整されることで均衡状態を達するという,ダールの古典的モデルからはますますかけ離れてきている.
敵を作り上げ,やっつける姿勢に自ら陶酔するような人物,そしてそれを支持する人たち.
政治に異質なものは,内在的というよりも,そもそもその存在自体に埋め込まれているものなのだが,どうやらこの異物に我慢できない輩ががんがん増えているみたいだ.

北朝鮮を非難しているうちに,自らがその写し鏡のような状態になるのであれば,50年代のマッカーシズムみたいだ.
それこそ,宮沢の最も避けたかった事態なのかもしれない.

中曽根よりも長生きして欲しかった,正直.

2007年7月2日月曜日

言葉で奏でる音楽

昨日は吉田秀和の特集を教育テレビで放映していた.
当年93歳.

中原中也からフランス語を家庭教師してもらい,日本における音楽批評を確立し,20世紀現代音楽の日本への紹介と若い日本人作曲家の育成にたずさわり,などなど.

学生の頃から折に触れ愛読していた彼の著書も,最近は読む機会がめっきり減っていた.
チェリビダッケの演奏についてなど,多くを学んだ.

今でもお気に入りの文章は,ホフマンスタールとシュトラウスがどのように薔薇の騎士を作り上げていったか,その往復書簡から読み解いていったものだ.
薔薇の騎士というオペラ,個人的には最も好きなオペラなのだが,形式的にはモーツァルトのフィガロのパロディであるだけでなく,ひとつの時代へのオマージュでもある.
そして,それを象徴するのが元帥婦人であるのだが,オペラの背後にあるこのようなテーマを,彼は往復書簡を紹介しつつ,テーマが結晶していく過程を見事に浮かび上がらせていた.

吉田秀和の,どことなくぶっきらぼうな語り口は,思考をよく練り上げてからつむぎだされた言葉であって,このブログのようにだらだら思いつくままに文字を書き連ねたものとは対極に位置している.
書くものも,比喩によってできるかぎり音楽の素養のない一般読者にも理解させようとする.

初期の批評は,楽譜を用いた分析的な面も目立ったが,徐々にアナロジーを多用することで理解を得ようとする方向性が強くなったように思える.
おそらく,客観的な分析だけでは伝えることのできない生の感覚が音楽的体験(芸術一般)には横たわり,それを伝える次善の手段として,アナロジーや比喩を吟味していくことになったのではないだろうか(なぜ次善なのかというと,生の感覚は直接経験することでしか享有できないから).

言葉の力にかけた人物の,いい言葉を久しぶりに聞いた.
文化勲章も,時として妥当な人選をするみたいだ.

オートトプコールのこと

2003年にコシナが復刻したオートトプコール1.4/58を先日購入した.
東京光学はもはやカメラ用のレンズは製作しておらず,一部のマニアの間でトプコール関連製品が高値で取引されている.



このレンズ,購入したものはM42マウント.
どうやら,同時期に発売したBessaflex TMの標準レンズとしても想定されていたみたいだ.

ヌケもよく,かつシャープな写りをする.
ツァイスのプラナー50ミリと並び,標準レンズの標準の地位におさまった.

面白いのはこのレンズ,往年の名レンズを現在の技術で修正したうえで,できる限りオリジナルの写りに近づけた復刻レンズということだ.
レコードでは,同様の復刻は珍しいことではなく(たとえばMFSLやClassic Recordsなど),神戸時代の給料の大半はLPに飛んでいた.

こういった形でのレンズの復刻を専門にするレンズ職人が出てきたら,どんなに今のわれわれは救われることか.
オークションとかを見ていると,平気で10万とか超えて落札されるレンズなど到底入札すらできないわけで,復刻製品があればどのような描写をするのか一発でわかる.

トプコールを復刻したコシナは,ツァイスブランドの製作にどんどんシフトして,もはや復刻レンズを作るひまはないのかもしれない(予断ながら,SonyがZeiss,PanaがLeicaなんて,やめてくれと思ってしまう).
フォクトレンダーでさえ,どんどん生産中止になっているし(Ultron 40欲しい).

日本のレンズ職人の技術をもってすれば可能だと思うのだが.
毎年1~2本,名レンズの復刻を限定400本とかで二つか三つのマウントで製造する.
問題はやっぱ資本か…

2007年7月1日日曜日

野球を見に行く

今日は2年振りのヤフードーム.
学生が姉の結婚式でハワイに行かねばならず,購入済みのチケットをゆずってくれたのだ(歓喜).
すっかりヤフードーム(前福岡ドーム)の名前が板についてきた.



去年はジャカルタ行きのためにすべての講義を前期に行ったため,野球どころではなかった.
ここのドームは全開放式ではなく,一部がスライドして開放する型になっている.



やっぱ,甲子園とか大阪球場みたいにオープンエアの球場が個人的には好きだな.

さて,今日の試合は宿敵ロッテ.
ホークスファンにはかなり怨みのあるチームになっている.

先発は和田と清水で,どちらも制球の良さがうりのいい組み合わせだった.
ドームに着いたら1回裏で,ロッテが1点をすでに奪っていた.
どうも今シーズンの和田は制球が不安定で,中盤までなかなか安定しないのだが,今日もそのとおりだった.



個人的には球足が遅くても制球がよくて,打者を打ち取るピッチャーが好きなので,和田はホークスでは一番ひいきにしている.

が,3回に追加点を3点献上.
不運なヒットが重なったりして,ツキもなかったな,今日の和田は.

他方,ロッテの清水は,いつ見てもきれいなフォームなのだが,今日はひときわ,抜群の制球が光った投球だった.



清水の和田も,今シーズンは打線の援護がなくて,ホント勝ち星に見放されている.
今日は清水に分があったけど,和田にもがんばってほしい.



7回裏の風船タイム.
風船飛ばすのに夢中で,風船が乱れ飛ぶ様子を写し忘れた.
おバカ.

静かだが,内に秘めた熱さを感じさせる熱心なファン.



騒ぐだけが熱い応援ではない.
たまにこういうファンを見ると,なぜか親近感を抱いてしまう.



勝利の余韻に浸るロッテのファン.
マリーン・スタジアムで試合を見たい.
阪神と日本一を争ったときの,あの霧の出た試合はすさまじかった.

帰りのバスから福岡マリーンタワーを臨む.



タワーのあるところが博多港で,福岡空襲で最も被害のあった場所.

帰宅途中のバスから写した博多湾と能古島.



ここは壇一雄が最後を迎えた土地.
今年から息子も移住してきた.



福岡都市高速を走る.

今日は,K100Dに先日中古で購入したコシナ製造のオート・トプコール50㎜を装着して写しまくってきた.
と思ってレンズをよく見たら58ミリだ!

焦点距離をすべて50ミリで設定していたから,あちゃ~.

ボルグのこと

研究会から帰宅して衛星放送を見ていたらボルグの特集をしていた.
懐かしかった.
トップスピンを主体にゲームを組み立てる新しいプレイスタイルを導入した先駆者としての紹介だった.

ボルグ全盛期は小学生の頃で,その頃からウィンブルドンの中継は見ていたので,今晩は久しぶりに彼の試合を,しかも大人になってそれ相応の知識を備えた眼で見ることになった.

サッカーもそうだが,テニスもプレイスタイルが日進月歩だというのが一目見た感想.
ボルグの試合をテレビで見ていた頃は,ライバルのコナーズに勝ち,彼に代わって新たなライバルとなるマッケンローの登場と,今から振り返ってもテニスの歴史に一時期を画した頃だった.

ベースラインでひたすら球を拾いまくるボルグのスタイルは,その後のマッケンローによるサーブ&ボレーで終わりを迎えたかに思える.
とりわけ,古今無双のビッグ・サーバー,イワニセヴィッチの登場は強烈だった.

だが,安定して成績を残し,偉大なプレーヤーとして名を残しているのは,結局はボルグのスタイルを基準としつつサーブ&ボレーも必要に応じて使えるオールラウンド型だろう.
その代表は,なんといってもサンプラス.
そして現在のフェデラー.

ボルグとこれら二人が共通する点としては,精神的な強さを備えたプレーヤーでもあるということだ.
いつもいつも,参考にせねばならないと思いつつも,どうもまねできないのは,凡人さゆえの悲しさよ.

久しぶりにテニスもしたくなったなぁ.