アジア美術館で絵を見た後はテクテク歩いて海に近い映画館へ.
クリントン政権時の副大統領だったアル・ゴアによる「不都合な真実」を見る(終わってなくてよかった!).
ゴアが環境問題や情報ネットワーク構想に積極的だったのは副大統領就任時から知っていたが,なぜ彼がそれほどまでこうした問題に対して熱心だったのかは不思議に思っていた.
ドキュメンタリーは温暖化問題の啓発と彼の個人的な生涯を交差させて作られている.
父の代から続く議員の家系であることや,学生時代に出会った講義によって温暖化の問題に気がつかされたことなど,個人史の点でもそれなりに興味深いエピソードが織り込まれている.
しかしメインはあくまでもゴアの温暖化問題に関するレクチャー.
温暖化についてごちゃごちゃここで書く必要はないだろう.
できれば温暖化対策に消極的な企業のロビー活動とかも描いてくれるともっと奥行のある作品になったろうな(マイケル・ムーアのコロンバインのように).
環境問題も最後は政治問題だという結びの箇所は,腐ってもアメリカ.
民主主義を用い,ひとりひとりが強い意志を発揮すれば解決できない問題はない,というメッセージはとても面白かった.
日本に欠けている,とてもとてもアメリカ的な発想.
学部の1年の英語の授業で読まされたトインビーの「世界を変えた一発」を思い出させた.
ゴアも調印にあたり強い役割を演じた京都議定書は,しかし,その先行きは以前不透明なまま.
昨日はカナダが議定書の目標達成を断念したというニュースが伝えられていた.
それにしても,あらためてクリントン,ゴア政権というのは「話せる」政権だったことを実感.
それに比べると現ブッシュ政権というのは,ひいき目で見ても見劣りしてしまう.
日本に至っては,ちょっとどうしたものか.
映画の後は久々に山ちゃんで生レバー.
おいしかったなぁ.
2007年4月30日月曜日
連休初日
連休の初日は久しぶりに福岡アジア美術館まで足を伸ばす.
天神方面も帰国してから2度目,ひと月ぶりだ.
美術館は現在ミュシャ展で盛況だが,こちらのお目当ては「現代インド絵画」と「アジアン・ビューティー」だった.
どちらも館の収蔵品を展覧会のコンセプトに応じて展示換えしたものなので,ほぼすべての作品は既に見たことがあるモノばかり.
でも同じ作品でも別のコンセプトで展示されると少しは見方も変わるもの.
「アジアン・ビューティー」は,正直展覧会のタイトルは「う~む」だが,こちらの見方を変えてアジア女性の現実を絵画はどのように表象しているのかという視点でも見れないことはなかった.
特に,韓国作家の作品は面白かった.
韓国社会で重視される「家」の存在,維持とそれを陰で支えてきた女性をテーマとした作品で,ポップカルチャーばかりが韓国ネタで取り上げられることが多い中,直球勝負で挑んでいた.
他にもヘンドラ・グナワンの絵があったりと,インドネシアに行く前は「ふ~ん」という程度しか反応していなかったインドネシアの作家の作品も,今ではもう少し見方が膨らむようになってきた.
アジア美術,あらためて面白さを実感.
天神方面も帰国してから2度目,ひと月ぶりだ.
美術館は現在ミュシャ展で盛況だが,こちらのお目当ては「現代インド絵画」と「アジアン・ビューティー」だった.
どちらも館の収蔵品を展覧会のコンセプトに応じて展示換えしたものなので,ほぼすべての作品は既に見たことがあるモノばかり.
でも同じ作品でも別のコンセプトで展示されると少しは見方も変わるもの.
「アジアン・ビューティー」は,正直展覧会のタイトルは「う~む」だが,こちらの見方を変えてアジア女性の現実を絵画はどのように表象しているのかという視点でも見れないことはなかった.
特に,韓国作家の作品は面白かった.
韓国社会で重視される「家」の存在,維持とそれを陰で支えてきた女性をテーマとした作品で,ポップカルチャーばかりが韓国ネタで取り上げられることが多い中,直球勝負で挑んでいた.
他にもヘンドラ・グナワンの絵があったりと,インドネシアに行く前は「ふ~ん」という程度しか反応していなかったインドネシアの作家の作品も,今ではもう少し見方が膨らむようになってきた.
アジア美術,あらためて面白さを実感.
2007年4月28日土曜日
ポット
今日は午前中と夕方に入っていた仕事を済ませて早々に帰宅する.
案の定不在連絡票が投函されていたので再配達をお願いして荷物を受け取る.
届いたのはコレ.
いつもはエスプレッソしか飲まないのだが,インドネシアから持ち帰った様々なコーヒーを試し飲みしていて,手頃なポットが欲しくなりネットで検索・購入してしまった.
銅製のポットは子供の頃を思い出させる.
父親が食後にいれるコーヒーは,細長い注ぎ口の銅製(もしかして真鍮だったか?)のポットだった.
しかもネルドリップでいつも淹れていたから,今から思えばずいぶん手間のかかることをしていたのだとわかる.
今回買ったポットは600ccでちょうど2~3杯分にぴったり.
注ぎ口も短すぎず長すぎず適度な長さだ.
また,サイズも手頃だし使い勝手もよかった.
使い込んでいい味を出したい.
案の定不在連絡票が投函されていたので再配達をお願いして荷物を受け取る.
届いたのはコレ.
いつもはエスプレッソしか飲まないのだが,インドネシアから持ち帰った様々なコーヒーを試し飲みしていて,手頃なポットが欲しくなりネットで検索・購入してしまった.
銅製のポットは子供の頃を思い出させる.
父親が食後にいれるコーヒーは,細長い注ぎ口の銅製(もしかして真鍮だったか?)のポットだった.
しかもネルドリップでいつも淹れていたから,今から思えばずいぶん手間のかかることをしていたのだとわかる.
今回買ったポットは600ccでちょうど2~3杯分にぴったり.
注ぎ口も短すぎず長すぎず適度な長さだ.
また,サイズも手頃だし使い勝手もよかった.
使い込んでいい味を出したい.
2007年4月27日金曜日
ふるさとの・・・
訛りを上野駅(多分)の雑踏に聞き分けたのは啄木.
近代日本の詩文に大きな影響を与えた人物にはなぜか東北出身者が多い.
彼以外にも宮沢賢治,それに斎藤茂吉.
最近東北に住むことになった知人のブログを読んで,ふとそのようなことを思った.
地方と都会の差は,大なり小なり現在でもまず言葉の差として意識される.
だが近代日本で言葉の差に直面したのはなにも東北人だけに限らないだろう.
子規や中也を考慮しても,四国と中国.
後を継ぐものはあまりいないか...
とするとなぜ東北?
茂吉は東京に住み続けた後も最上弁を決して変えなかったらしい.
賢治や啄木の肉声はどうだったのだろうか.
東北出身者でありながら似非関西弁が肉体化してしまったわたしとしては,空想するには面白いネタである.
近代日本の詩文に大きな影響を与えた人物にはなぜか東北出身者が多い.
彼以外にも宮沢賢治,それに斎藤茂吉.
最近東北に住むことになった知人のブログを読んで,ふとそのようなことを思った.
地方と都会の差は,大なり小なり現在でもまず言葉の差として意識される.
だが近代日本で言葉の差に直面したのはなにも東北人だけに限らないだろう.
子規や中也を考慮しても,四国と中国.
後を継ぐものはあまりいないか...
とするとなぜ東北?
茂吉は東京に住み続けた後も最上弁を決して変えなかったらしい.
賢治や啄木の肉声はどうだったのだろうか.
東北出身者でありながら似非関西弁が肉体化してしまったわたしとしては,空想するには面白いネタである.
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