科研の出張予定がだいたい決まった.
8月20日出発で9月11日帰国.
毎年訪ねるオランダだが,ここ数年は隔年で必ずウィーンに住む友達に会うのが恒例になっていた.
リンクを張っているブログを主催しているジャーナリストの友人.
しかし今回は,ウィーンには行かず,28日からフィレンツェに7日ほど滞在する.
返事を待ってたのだけど,今日までなかったので,ちょっと違った気分でこれまでと別の場所を訪ねようと思い立った.
とはいえ,フィレンツェに遊びに行くのではなく,ヨーロッパ大学の付属施設であるEU歴史文書館を訪ねるつもりだ.
イタリアは,1990年,96年,2001(?)年の3回訪れているが,北ばっか.
南はローマどまり.
今回も,北だなぁ.
初めての海外旅行が新嘉坡経由のイギリスとイタリアだったのだが,イギリスにひと月滞在した後,空路夜のヴェネツィアに入った日のことは鮮明に覚えている.
街を霧が包み,街頭の明かりがぼやっと石畳の路地を照らし出す.
運河を走る乗り合い船の水を切る音が聞こえてきて,突如目の前に運河が現れたときの光景は,人生で最も幻想的な光景だった.
泊まるところがなくて,駅のベンチで一晩過ごした翌朝,目の前に広がる風景はあふれる色彩の世界だった.
青い空とアドリア海の青い海.
心の印画紙に強烈に焼きついている.
その時,ローマに南下していく途上,パドヴァ,ラヴェンナ,シエナ,フィレンツェと辿ったのがフィレンツェを訪ねた時になる.
初期ルネッサンス彫刻を,フィレンツェではなによりも発見した.
また,手持ちの金が底をつき,リッツとミネラルウォーターで昼飯と晩飯をしのいでいた.
同じユースホステルに泊まるために一緒に歩いていた男性二人と話出したら,片やチリ,片や西ドイツからの観光客だった.
チリでは人権弾圧をしまくったピノチェト将軍が直前に政権から退いた時で,西ドイツの若者がそのことを指摘して「チリにも民主主義が戻ってよかったね」と言ったら,チリ人のおっさんは「俺はピノチェト支持だ」といって二人はホステル到着後もキッチンで論争を続けることになった.
キッチンに舞台は移り,リッツとミネラルウォーターを食べているこっちを見たチリ人のおっさんは,自分の手元にあった二皿のパスタのうち,まだ手をつけていないほうをこちらに差出,ただ一言「食え」といってくれた.
その瞬間,彼がピノチェト支持者であろうがどうでもよくなった.
まだまだ,フィレンツェでのエピソードはたくさんある.
今回,もう一度街をめぐって,なにか新たなものを発見することができるだろうか.
楽しみではある.
0 件のコメント:
コメントを投稿