土曜日は八幡までピアノのリサイタルに出かけたのだが,翌日曜は秋月まで出かけた.
明治維新直後の秋月の乱で名前を知ることになる秋月は,博多から日田を結ぶ旧朝倉街道を途中で北にあがりしばらく進むと着く.
山を越えると嘉穂郡.
明治以後は人口の流出が進み,城下町というほどの街並も残ってはいない.
到着が夕方だったので観光客もまばらだった.
1810年に長崎からオランダの建築技法に通じた職人を呼び寄せて作らせたと言われている眼鏡橋.
長崎の眼鏡橋はその名の通り二つレンズだが,こちらは一つ目.
菜の花がきれいに咲いていた.
秋月城址に残る鎌倉時代に作られたという黒門.
端正な門構えは,現在「垂裕(すいゆう)神社」の門に転用されている.
門瓦の上に見える枝の間に月がのぞいている.
石段を上ると境内にたどり着く.
境内それ自身はいたって質素で,掃き清められた境内も地味なものだった.
香椎宮や筥崎宮のように国策に便乗した神社とは異なる雰囲気がにじみ出ていた.
参道の石灯籠.
月は秋月の月を連想させるのだが,秋月藩の家紋がどのようなものであったのかは調べることができていない.
時期をずらしてあらためて散策に訪れたいところだ.
0 件のコメント:
コメントを投稿