2008年11月16日日曜日

白血病

夜,親しい同僚から昨年夏とこの春先に一緒に温泉に出かけた大先輩の訃報を知らせてもらった.
白血病での闘病の末だった.

福岡に来てはじめて知り合った5年前から病気のことは本人から聞いて知っていた.
人はいつその生命を断ち切られるか,誰にもわからない.

まして白血病のような病気は慢性肝炎とは異なり,ガンと同じくもう少し早くこれまでの人生を整理しなさいといわれるようなものだ.

大学院に入学した時,あてがわれた研究室の隣の席が1年先輩の国際法を専攻する女性で,白血病だった.
しばらく姿を見せないと思ったら,亡くなられたことを聞いた.
ご両親が遺品を整理に来て,たまたまだろうが先輩の育てていたサボテンを忘れていったので,引き取った.
そのサボテンは,留学中に預けた後輩のミスで枯れてしまった.
今でもその後輩に預けていったことを後悔している.
私と先輩とをつなぐものは,心の中の誰も知らない思い出だけになった.

同じ頃,国際関係論を専攻していた院生の元締め格の先輩がいた.
鹿児島の県立短期大学に就職が決まり,元気に研究と教育にまい進しているとうかがっていた.
ある日,大学院の掲示板にその先輩の訃報が告知されていた.
多分,今の自分と同じくらいの年齢だと思う.
二人目のお子さんが奥さんのお腹に宿っていた.

今日訃報を聞いた先生は,昨年の夏と今年の春先に一緒に温泉に出かけた.
満州からの引き揚げをされた方で,幼少の頃の満州での暮らしぶりや日本の敗戦時に現地がどのように変ったか,博多湾に戻ってからのことなど,直接話をうかがうことができた.
家庭の事情や青年の頃の大病の話,なぜ研究を志すことになったのか,さらに奥様との馴れ初めなどなど.

時々連絡が取れなくなり心配していると,白血球の数が減少して,そのために入院していたことを説明してくれた.
温泉宿に泊まったときには,こちらから病気のことについて率直に尋ねた.
それにこたえて,白血球の数値が減少傾向にあり,治療に耐える体力がなかなかおっつかないことも話してくれた.
この大先輩との話を通じて,白血病との闘病がどれほど大変なものか,おぼろげなから推察することができるようになった.

今年の夏は,個人的なごたごたがあって,夏の温泉旅行を誘う余裕がこちらにはなかった.
心の片隅ではまた冬に行けるだろうと何の根拠もなく楽観していた.
この夏にも向こうがどういう状態であろうとも誘っておけばよかった.
自分ならそうして誘われたなら少しは生きる気力になると思うから.

人の生命はいつ絶たれるかわからないというのは,小学生の頃の経験や阪神大震災で身に沁みているはずなのに,未だにその教訓を活かしきれていないのはなんちゅうあんぽんたんやろうな.
明日の通夜では最後の挨拶をしっかりとせなあかん.

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