2009年3月30日月曜日

キーシンの演奏

依頼された書評を先日来せっせと作業しているのだが,月末締め切りと思い込んでいたところ,実際は19日が締め切りだったことが判明.
青くなってピッチをあげだした.

とはいえ,扱っている書籍が大部の本で,どんなにピッチを上げても限界がある.
一休み中の今,たまたま衛星ではエフゲニー・キーシンがスイスの音楽祭で開いたリサイタルを放映している.

私にとってのキーシンは,小学生のショパン弾きとしてのイメージがまず最初にあって,次にベルリンの壁崩壊から2年ほど経過したベルリン・フィルのジルベスターコンサートにおけるみずみずしい合唱幻想曲の演奏が続いていた.

いずれにせよ,キーシンはくせのないとてもまっすぐなタッチで,テクニック的にも安定した技術で曲を弾きこなしていく印象が強かったのだが,今放映している演奏はその印象から隔たっているものだ.

最初の曲のベートーヴェンの32の変奏曲からして,タッチがすべるは,曲の構成が荒っぽくなっていて,こちらの抱いていたキーシンの演奏スタイルからずいぶん変化しているものだ.

32の変奏曲は,学生時代,それこそ最初に買ったクラシックCDの数枚に含まれていた,ギレリスのカーネギーホールでのリサイタルの演奏が鮮烈に心に刻まれている.
キーシンの大先輩にあたりリヒテルと並んで旧ソ連を代表するピアニストであったギレリスの演奏は,鋼鉄のピアニストと呼ばれるにふさわしい演奏だった.

だが,32の変奏曲の後に収録された月光は,比類のないテクニックで曲を再現していきつつも,曲に込められた表現の微妙な変化を丁寧に演奏したもので,叙情性にあふれた素晴しい演奏となっていた.

ひるがえって,衛星から流れてくる演奏を聴きながら,キーシンがどのような方向で今後演奏活動を続けていくのか,重大な岐路にさしかかっているのかもしれないと思わざるをえなかった.

送信者 MZ-3

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