2008年5月17日土曜日

香椎古宮周辺

以前不老水を訪ねたときに撮っていてアップしていなかったもの.

勅使道口

香椎宮までの道を勅旨道と呼ぶ.
現在JR鹿児島本線の通るこの辺りが江戸時代の街道筋にあたり,海岸線もこのすぐ南まで迫っていた.
すぐ近くには香椎宮ともゆかりの深い濱男神社がある.

戦後の国家神道解体に伴い「官幣大社」の地位が消滅.
その部分だけ塗りこんでいるのが別の歴史を物語る.

香椎参道鳥居

参道の鳥居.

棺うけの椎

仲哀天皇が熊襲平定の帰途,この地で陣をはり朝鮮への出兵を協議していたときに急逝.
遺骸を収めた棺を椎の木にたてかけて協議を続けたとの言い伝えがある.
その椎の樹がこの写真に写っている木で,「棺うけの椎」と呼ばれている.

棺うけの椎を左にこんもりとした茂みの中をあるっていくと目に飛び込んでくるのが次の光景.

仲哀天皇大本営旧跡

「仲哀天皇大本営旧跡」の碑から椎の木方面をながめる.

香椎古宮跡

仲哀天皇も神宮皇后も実在が疑われている人物である.
こうした伝説の生じる背景はなんだったのか,空想すると興味は尽きない.

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