2007年7月5日木曜日

晩御飯のおかず

昨日の話しだけど,おかずに豆腐を買ったのだよ.
ふと目にとまったのがこの男前豆腐マサヒロ.



ゴルゴと矢吹ジョーを足して二で割ったような顔にただならぬキッチュさを感じた私は,気がつくとマサヒロをわしづかみにしてレジで仁王立ちしていたのであつた.

マサヒロの味は,クリーミーな舌触りで,チーズを食べている感触.
好みは分かれるだろうが,北海道で野郎が集まり作っている豆腐ということで,そこそこ名は知られているらしい.



パッケージの裏なんて,男だもん.
なんか本宮ヒロシちっくや.

2007年7月4日水曜日

外出

今日はこれから福岡市の総合図書館で資料探し.
帰りに修理に出していたContaflex IVとPen Fのレンズを引き取りに行く予定.

なにかと出費がかさむが,今のうちにしっかりメンテしておいて,後々まで丁寧に使用するほうが結果的には安く上がるという判断なのだが,Contaflexの修理代なんて,製品本体よりも高い…

しかもこんな日に限って大雨洪水警報が発令されているから,なんてこったい.

2007年7月3日火曜日

宮沢喜一のこと

自民党保守本流の終焉を強く感じさせる.
宏池会は加藤と河野で分裂し,旧田中派もいまや見る影もない.

彼が首相になったとき,野党を支持する人からも一抹の期待が宮沢に寄せられた.
今でも覚えているのは,MITのジョン・ダワーが寄せた一文.
ダワーは,限りなく憲法9条から乖離しつつある自衛隊の現状に対し,宮沢が思い切った措置,それは軍隊としての自衛隊を政府の憲法解釈上も明確に禁じるということだが,それをすることでかつての三木のように党内から引き摺り下ろされるけれども,歴史に名を残す宰相になるかもしれない,と述べていた.

宮沢への各紙の追悼文でも,在任中に自衛隊の海外派遣に道を開くPKO法案を成立させたことを歴史の皮肉と指摘していた.
ダワーの期待は,正反対の方向で実現したわけだが,彼の予期していた党内からの引き摺り下ろしについては,政治改革という茶番劇によって実現したわけだ.

個人的に宮沢のバランス感覚のよさを感じたのは,社会党が崩壊したときに寄せた彼のコメントだった.
いわく,社会党が野党としてあることによって,政治的均衡状態を保っていた部分があり,その点については評価すべきだ,という趣旨の発言だった.

政治にall or nothingを求めることの危険性を,彼は理解していた.
いまや,政治の世界も異なる価値観が表出され,調整されることで均衡状態を達するという,ダールの古典的モデルからはますますかけ離れてきている.
敵を作り上げ,やっつける姿勢に自ら陶酔するような人物,そしてそれを支持する人たち.
政治に異質なものは,内在的というよりも,そもそもその存在自体に埋め込まれているものなのだが,どうやらこの異物に我慢できない輩ががんがん増えているみたいだ.

北朝鮮を非難しているうちに,自らがその写し鏡のような状態になるのであれば,50年代のマッカーシズムみたいだ.
それこそ,宮沢の最も避けたかった事態なのかもしれない.

中曽根よりも長生きして欲しかった,正直.

2007年7月2日月曜日

言葉で奏でる音楽

昨日は吉田秀和の特集を教育テレビで放映していた.
当年93歳.

中原中也からフランス語を家庭教師してもらい,日本における音楽批評を確立し,20世紀現代音楽の日本への紹介と若い日本人作曲家の育成にたずさわり,などなど.

学生の頃から折に触れ愛読していた彼の著書も,最近は読む機会がめっきり減っていた.
チェリビダッケの演奏についてなど,多くを学んだ.

今でもお気に入りの文章は,ホフマンスタールとシュトラウスがどのように薔薇の騎士を作り上げていったか,その往復書簡から読み解いていったものだ.
薔薇の騎士というオペラ,個人的には最も好きなオペラなのだが,形式的にはモーツァルトのフィガロのパロディであるだけでなく,ひとつの時代へのオマージュでもある.
そして,それを象徴するのが元帥婦人であるのだが,オペラの背後にあるこのようなテーマを,彼は往復書簡を紹介しつつ,テーマが結晶していく過程を見事に浮かび上がらせていた.

吉田秀和の,どことなくぶっきらぼうな語り口は,思考をよく練り上げてからつむぎだされた言葉であって,このブログのようにだらだら思いつくままに文字を書き連ねたものとは対極に位置している.
書くものも,比喩によってできるかぎり音楽の素養のない一般読者にも理解させようとする.

初期の批評は,楽譜を用いた分析的な面も目立ったが,徐々にアナロジーを多用することで理解を得ようとする方向性が強くなったように思える.
おそらく,客観的な分析だけでは伝えることのできない生の感覚が音楽的体験(芸術一般)には横たわり,それを伝える次善の手段として,アナロジーや比喩を吟味していくことになったのではないだろうか(なぜ次善なのかというと,生の感覚は直接経験することでしか享有できないから).

言葉の力にかけた人物の,いい言葉を久しぶりに聞いた.
文化勲章も,時として妥当な人選をするみたいだ.

オートトプコールのこと

2003年にコシナが復刻したオートトプコール1.4/58を先日購入した.
東京光学はもはやカメラ用のレンズは製作しておらず,一部のマニアの間でトプコール関連製品が高値で取引されている.



このレンズ,購入したものはM42マウント.
どうやら,同時期に発売したBessaflex TMの標準レンズとしても想定されていたみたいだ.

ヌケもよく,かつシャープな写りをする.
ツァイスのプラナー50ミリと並び,標準レンズの標準の地位におさまった.

面白いのはこのレンズ,往年の名レンズを現在の技術で修正したうえで,できる限りオリジナルの写りに近づけた復刻レンズということだ.
レコードでは,同様の復刻は珍しいことではなく(たとえばMFSLやClassic Recordsなど),神戸時代の給料の大半はLPに飛んでいた.

こういった形でのレンズの復刻を専門にするレンズ職人が出てきたら,どんなに今のわれわれは救われることか.
オークションとかを見ていると,平気で10万とか超えて落札されるレンズなど到底入札すらできないわけで,復刻製品があればどのような描写をするのか一発でわかる.

トプコールを復刻したコシナは,ツァイスブランドの製作にどんどんシフトして,もはや復刻レンズを作るひまはないのかもしれない(予断ながら,SonyがZeiss,PanaがLeicaなんて,やめてくれと思ってしまう).
フォクトレンダーでさえ,どんどん生産中止になっているし(Ultron 40欲しい).

日本のレンズ職人の技術をもってすれば可能だと思うのだが.
毎年1~2本,名レンズの復刻を限定400本とかで二つか三つのマウントで製造する.
問題はやっぱ資本か…

2007年7月1日日曜日

野球を見に行く

今日は2年振りのヤフードーム.
学生が姉の結婚式でハワイに行かねばならず,購入済みのチケットをゆずってくれたのだ(歓喜).
すっかりヤフードーム(前福岡ドーム)の名前が板についてきた.



去年はジャカルタ行きのためにすべての講義を前期に行ったため,野球どころではなかった.
ここのドームは全開放式ではなく,一部がスライドして開放する型になっている.



やっぱ,甲子園とか大阪球場みたいにオープンエアの球場が個人的には好きだな.

さて,今日の試合は宿敵ロッテ.
ホークスファンにはかなり怨みのあるチームになっている.

先発は和田と清水で,どちらも制球の良さがうりのいい組み合わせだった.
ドームに着いたら1回裏で,ロッテが1点をすでに奪っていた.
どうも今シーズンの和田は制球が不安定で,中盤までなかなか安定しないのだが,今日もそのとおりだった.



個人的には球足が遅くても制球がよくて,打者を打ち取るピッチャーが好きなので,和田はホークスでは一番ひいきにしている.

が,3回に追加点を3点献上.
不運なヒットが重なったりして,ツキもなかったな,今日の和田は.

他方,ロッテの清水は,いつ見てもきれいなフォームなのだが,今日はひときわ,抜群の制球が光った投球だった.



清水の和田も,今シーズンは打線の援護がなくて,ホント勝ち星に見放されている.
今日は清水に分があったけど,和田にもがんばってほしい.



7回裏の風船タイム.
風船飛ばすのに夢中で,風船が乱れ飛ぶ様子を写し忘れた.
おバカ.

静かだが,内に秘めた熱さを感じさせる熱心なファン.



騒ぐだけが熱い応援ではない.
たまにこういうファンを見ると,なぜか親近感を抱いてしまう.



勝利の余韻に浸るロッテのファン.
マリーン・スタジアムで試合を見たい.
阪神と日本一を争ったときの,あの霧の出た試合はすさまじかった.

帰りのバスから福岡マリーンタワーを臨む.



タワーのあるところが博多港で,福岡空襲で最も被害のあった場所.

帰宅途中のバスから写した博多湾と能古島.



ここは壇一雄が最後を迎えた土地.
今年から息子も移住してきた.



福岡都市高速を走る.

今日は,K100Dに先日中古で購入したコシナ製造のオート・トプコール50㎜を装着して写しまくってきた.
と思ってレンズをよく見たら58ミリだ!

焦点距離をすべて50ミリで設定していたから,あちゃ~.

ボルグのこと

研究会から帰宅して衛星放送を見ていたらボルグの特集をしていた.
懐かしかった.
トップスピンを主体にゲームを組み立てる新しいプレイスタイルを導入した先駆者としての紹介だった.

ボルグ全盛期は小学生の頃で,その頃からウィンブルドンの中継は見ていたので,今晩は久しぶりに彼の試合を,しかも大人になってそれ相応の知識を備えた眼で見ることになった.

サッカーもそうだが,テニスもプレイスタイルが日進月歩だというのが一目見た感想.
ボルグの試合をテレビで見ていた頃は,ライバルのコナーズに勝ち,彼に代わって新たなライバルとなるマッケンローの登場と,今から振り返ってもテニスの歴史に一時期を画した頃だった.

ベースラインでひたすら球を拾いまくるボルグのスタイルは,その後のマッケンローによるサーブ&ボレーで終わりを迎えたかに思える.
とりわけ,古今無双のビッグ・サーバー,イワニセヴィッチの登場は強烈だった.

だが,安定して成績を残し,偉大なプレーヤーとして名を残しているのは,結局はボルグのスタイルを基準としつつサーブ&ボレーも必要に応じて使えるオールラウンド型だろう.
その代表は,なんといってもサンプラス.
そして現在のフェデラー.

ボルグとこれら二人が共通する点としては,精神的な強さを備えたプレーヤーでもあるということだ.
いつもいつも,参考にせねばならないと思いつつも,どうもまねできないのは,凡人さゆえの悲しさよ.

久しぶりにテニスもしたくなったなぁ.