2009年2月22日日曜日

加藤周一さんお別れ会に思ったこと

21日に有楽町の朝日ホールで加藤周一さんのお別れ会が催された.
当日は約1時間前に会場に到着,一般席に座ることができた.

祭壇に飾られた遺影はワインレッドのジャケットに黒のタートルを着た姿で,よく目にした服装のものだった.
会話か講演の途中で撮影したものなのか,今にも話し出さんばかりの表情でかつての雑談での一瞬を切り取ったような生気あふれる顔が印象に残った.

弔辞は大江健三郎,水村美苗,吉田秀和の各氏.
当初予定されていた鶴見俊輔氏による弔辞は体調不良のために司会が代読した.
また,垣花秀武氏やロナルド・ドーア氏など交流の深かった友人からの弔電も紹介された.

大江氏は自らが加藤さんの著作との交流を通じて,これからの活動の糧にしていきたいという主旨の弔事であり,水村氏は,通常の弔辞に潜む記憶の再操作,すなわち通常の弔辞が故人を善き人に仕立てていく行為であることを聴衆に意識させつつ,にもかかわらず加藤さんがそのような記憶の再操作を必要とせずに弔辞を述べることのできるまれにみる善き人であったことに触れていた.

とりわけ印象に残った弔辞は吉田秀和氏によるものだった.
客席と加藤さんの想いを共有すべく,弔辞であるにもかかわらずあえて遺影に背を向けて,聴衆に語りかけてくれた.

加藤さんの凝集された表現やアイロニーを吉田秀和氏はとりあげ,多様な現実から要点を抽出し,それを切り詰めた表現に結晶化していく点を加藤さんの人生と結びつけていた.
しかしそれだけでなく,加藤さんが細部に対する感受性や深い理解を備えていたことを指摘することも忘れなかった.

弔辞を締める言葉として,「友人として愛していた.とても悲しいです.」と言われたのだが,それはおそらく多くの人の心に深く染みただろう.
教養の背景,同じ時代を共有し,互いに信頼してきた者でないと伝えることのできない,心の底からの愛情と悲しみの入り混じった言葉だった.

ひとつ気づいたことは,吉田秀和氏や鶴見俊輔氏,それに垣花秀武氏や日高六郎氏など,同時代を生き,同じ空気を肌で感じていた方たちの加藤さんに対する評価に共通していた点である.
それは,軍国主義に対して徹底的に反対であり,その姿勢がぶれなかったことを強調していたことだった.

彼らは,生涯に多様な領域で活動を展開した加藤さんについて語るとき,まず軍国主義に対してとった姿勢を中心に据える.
それは,加藤さんの多様な活動の根っこに揺らぐことのない政治との距離のとり方,接し方があることをあらためて思い起こさせるものだった.
鶴見氏はそのような姿勢を「心棒(しんぼう)」という言葉で表現していたが(アイザイア・バーリンならば「人格の重心」と表現するだろう),戦後に生まれた世代は加藤さんの戦中の姿勢を勇気あるものとは思いつつも,その真の意義/困難さをどれだけ肌身で理解してきたのだろうか.

弔辞に耳を傾け,加藤さんとの会話を思い出しながらそのようなことを考えていた.

加藤さんからなにを継承し,発展させていくことができるのか.
かつて同じ趣旨の質問を直接加藤さんにうかがったことがある.
その時,自らが新たに提起した課題が誰かによって引き継がれ,深められていくことに喜びを感じることがある,と答えていた.

会場にはかつて学生時代にともに講義をとっていた人の姿もちらほら見え,久しぶりの再会となった.
こうした人との出会いも加藤さんが結び付けてくれた未来の可能性なのかもしれない.
あらためて感謝の念がわきあがってきた.

平凡社のブログにもお別れ会の様子が載っている.
今日の平凡社: 加藤周一さん お別れの会

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