2008年2月18日月曜日

母校を訪ねた話

先週の京都滞在中,10年振りだろうか,学部時代を過ごしたキャンパスを訪ねてみた.
80年代の「国際化」の流れを受けてできた新設の学部で,入学試験の倍率が36倍くらいだった.
初物に飛びつくやつには一風変わった人物も多かった.

キャンパスもまた一風変わっていて,擬古典風の建物はみんなから「パルテノン」と呼ばれ,正式名称が西園寺記念館であることを知らない者もいたくらいだ.



初年度の学生が200名で,男女比がほぼ半分.
帰国子女やらハーフの学生やらいて,「英ペラ」の同年代なんてはじめて遭遇した.

授業は1回生の前期で早々に脱落し,結局単位だけとってまじめに講義を受けたことなど皆無に近かった.
しかし,友達に会うためにはキャンパスに行かざるを得ず,授業には出ないが大学には毎日出没するという生活パターンが定着していった.



メインキャンパスから離れていて,金閣寺の裏に位置している.
玄関口から向かって見える木立の向こう側が金閣寺.

その後学生数の増大と,手狭になったメインキャンパスから経済系と理工系学部が草津に移転したこともあり,国際関係学部も2000年にはメインキャンパスへと移転することになった.



正面に見えるのが現キャンパス.
玄関の上には学部創立20周年の横断幕が掲げられていて,愕然とした.
入学したときに生まれた子供が今や現役の学生というわけだ.



「パルテノン」は,その後2年ほどロースクールとして使われたのだが,これも交通の便の良い二条駅前に移転してしまった.
訪ねてみたときのキャンパスは,物置と化していて,天気の良い日には寝っ転がったり昼飯を食べていた芝生も荒れ放題になっていた.



メインキャンパスも時計のあるシンボル的建物の前が整備され,様変わりしていた.



正門が閉ざされ,人気のない「パルテノン」で遭遇したのは一匹の白い猫.



時々食事に出かけていた「グリル衣笠」,通称「グリ衣」が未だに営業していたことだけが変わらないことだった(ググってみたら結構ヒットした).
が,15年振りに食べたトルコライスからは,魚フライが消えていた.

学部生時代が今までの人生で一番楽しかったな.

ひとまず先週末の京都〜大阪訪問分は(まだまだあるけど)おしまい.

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