2007年12月3日月曜日

形あるもの,いつかは壊れる

そうです.
昨晩は酔っ払ったせいか,手元が滑ってリーデルのワイングラスを割ってしまつた.
あああ,生まれて初めてワイングラスを割ったよ.
人生で4回目の皿&コップ&グラスの破壊行為だ…

記念写真撮っといた.



しかし,絵に描いたようなきれいな音で割れたなぁ.
しかも破片の散乱の範囲がハンパじゃないってか.

岡本太郎師匠曰く,「形あるもの,いつか壊れる!」.
肝に銘じました.

春の祭典

ゲルギエフが振っている演奏をBSで流している.
録画忘れたなぁ.

先日FMでも流れたのを聴いたのだが,実はあんまいい演奏じゃない,と個人的に思う.
とはいえ,この曲を映像として残しておくといろいろ比較する際に面白いので録っておけばよかった.
楽器の使い方がかなり独特なのだが,映像のほうがわかりやすいもんな.

しかし,音楽業界はゲルギエフとラトルとアーノンクールを売り出しているが,どれもおいどんの琴線には触れないのだ.
クラシック業界もビジネス的に低迷しているから,なんとか人気の出る演奏家を作り出したいところだが,過去の演奏がいい状態で復刻されているのでもう無理だろう.

あ,演奏が終わった.
全般に遅めのテンポで演奏しているが,第2部のリズムが複雑に変化するパートもエアポケットのような感じが出てこないし,最後の箇所もばらつきが目立ったなぁ.

2007年12月2日日曜日

ルールにたいする意識

金曜の憲法の授業は,校則の問題を取り上げた.
パーマをかけたり,バイクの免許を取ったことで校則を破り,結果として退学に至った学生の起こした訴訟を紹介したわけだ.

校則は学生にとってはついこの間まで身近に接していたルールだ.
感想を読むと,そこから学生の規範意識もちらほらと垣間見てきて面白い.

こちらとしては,校則がどの程度まで必要で,その目的が本当に合理的なのか,いったん自分の頭で考えて,そこから校則の必要性の有無,必要な場合どの程度まで学生の行動を拘束するべきか自分で結論を出して欲しい,というのがとりあげる最大の教育目的である.

講義をろくに聞いてへん箸にも棒にもかからんのはさておき,半数近くが「決まりは守るべきだ」とか,「当たり前」といった感想を寄せてきたのはヘーゲル弁証法的に表現するならば,即自から対自への移行途上にある(問題として対象化する段階にまだ到達していない)というべきだろう.

中学校の教師をしているいとこのエピソードも交えたので紹介しておこう.
ある日,ピアスをつけて登校してきた学生が見つかり,職員会議が2~3時間続いたらしい.
いとこは個人的にはピアス程度はっきしいってどうでもいいという個人的見解なのだが,うるさい(声も校則に対しても)教師が主導権を握りやはりダメとのことだった.

このエピソードを紹介しつつ,校則が生徒の行動のどの範囲まで踏み込んでいいのか,学校は基本的に勉強する場なので,しつけとか衣服やアクセサリーの好みは範囲外ではないか,とひとことコメントをした.
これに対しても「勉強さえしていればよいといってピアスが大丈夫なら,極端に言えば窓ガラスも割っていいことになる」という感想が出てきた.

パーマやバイクの免許を取ること,さらにどんな服を着るかという判断は,自己決定権に含まれるのであって,それはしたいことを無条件にすることを意味するのではなく,他人に害を及ぼさない範囲で許されるのだということを直前に説明しているのだが,この学生の場合どうも聞いちゃいないのか.
あるいは,まじめさゆえに,あたかも校則なんて破っていいと教師が薦めていると受け取って感情的に反発したのか.

まじめであることにアイデンティティを見出している人ほど,考えが硬直してしまうんだよなぁ.
既にあるルールに対して守る守らないという枠でしかとらえられなくて,守る=善,守らない=悪という図式がしっかり定着しているみたいだ.

本来校則なんて倫理的な善悪とはかかわらないルールのはず(始業時間がいつとかひとつの授業時間は何分かとか).
しかも,歴史は法やルールを守ることが必ずしも善であることは示していない.
わかりやすい例ではユダヤ人を迫害したナチの法律.
外務省の通達に従わなかった杉原千畝の例.
日本でもらい予防法といった明らかに優生学思想の色濃く残った法律などなど.

仮に自分が教師になって,あるいは親になって,生徒や子供が校則の意味について尋ねてきた時,どう答えることができるのか.
「きまりだから」とか「みんな守っているから」というのでは,まともな答えにならないだろう.
まぁ,残り半分は校則の意味について考えだしたようなので,教育的効果は半分伝わったと希望的観測を込めて思っておこう.

そういや,別の学生が感想用紙に「先生の専門はいったいなんなのですか?」と書いてきた.
この学生は,もうひとつの政治文化論という講義もとっていて,「いろいろ勉強になる」とありがたくも評価してくれてのことではあったのだが…
最近,自分でもアイデンティティの揺らぎに悩むこと多い日々である.

2007年12月1日土曜日

冬なのに

もう12月.
今年も生産性の低い一年になりそうだ.
来年は,転職に向けてがんばろう(もう!?).

世間はほぼ冬に入りつつあるが,近所の商店街で晩飯の食材を探していたら,なんともぶっといズッキーニを発見.
韓国産パプリカもナスもあったので,今年最後のラタトゥユを作ることに急遽決定.



宮崎のハウス栽培農家が作ってるんだろうな.
ジャスコでは夏だけ入荷,ちびたズッキーニが198円程度で売ってることを考えると,抜群にいいもんだ.
知事はアホな発言しているが,農家の野菜はありがたい.



FA31 Limitedって,なんていいレンズなんだ.
こんな料理のために使われるには,もったいなさすぎる.
なんて,気にせんとこ.

フランスパンを買い忘れ,パスタ鍋は豚汁に占領されているため,セサミ入りチーズとスペインの生ハムをサイドにいただきます.

酒はワインじゃなくて,期間限定琥珀ヱビス.



昨年はジャカルタにいたので飲めんかったべ.
うれしさにぐびぐび缶のまま飲んでいた.
あるときふと気がついた.
「これじゃ,ビールが琥珀色しているのがわからない」と.

おいしいご飯に満足.

2007年11月29日木曜日

プレミア

NHK-BSで放映がはじまった.

昨日の疲れがたまっているので今晩は早く寝る予定だったのに,アーセナルの試合のせいで夜更かしだべ.
対戦チームのウィガンもがんばってたな.

アンリも大好きだが,アンリがいなくてもアーセナルを応援してしまう.
アンリといえば,アムステルダムで見たTOMMY HILFIGERのどでかい広告に載っていたアンリが超カッコえがった.
後で写真をアップしよう.

今年は無敗優勝だ!

てことで,アンリ.

CD25周年

CD発売から25周年.
我が家は貧乏オーディオ好きな父親(三菱電機でダイヤトーンスピーカーを作っていた)のおかげでCDは発売当初から自宅にあった.
最初に買ったCDは姉がアビーロード(本家EMIの許可なしに製品化したため後で回収された最初期のレア盤),おいらがビリー・ジョエルのナイロン・カーテン(われながら渋いチョイスだ).

その後,大学に入学した1988年頃からCDの普及度が加速度的に進んでいった.
古い録音のCDへの復刻も最初は音圧が高くてとても聴けたものではなかったのだが,1990年代後半からリマスタリングの技術も向上して古い録音もどしどしCD化されてきた.

メディア自体もDVD AUDIO(これは厳密にはCDではない)やSACDによって音像の立体感も鮮やかになった.
初期のCDは,プレス技術もばらつきのあることがあって,テケトーなやつだと再生不能になっているものもポツポツ出てきている.
最大で80分しか入らないCDが,音楽用記録メディアとして将来どのような展開をしていくのかわからない部分もある.

DVD AUDIOなら収録時間もかなりかせげるのでオペラを丸ごと1枚に収め,かつ高音質で楽しめるのだが,いかんせん人気がなくてどうやら生産中止になる可能性大.
ちと残念だ.

さて,先日不良CDの交換を頼んでいたのが入荷したので,引き取りに行ったのだが,またまたSHM-CDなる規格がでていた.

カラヤンやベームの音源が売ってたが,常の如く食指が動かない.
親父にとってはこの二人が「指揮者」なのだが,息子はエディプス的に反応するのかその前の世代(フルトヴェングラー)かその後の世代(アバド)が好みなのだ.
とりあえず店頭に並んでいたものにポリーニのショパン練習曲集があったので,即買.
これ,すでにLPでも1枚,CDでも2枚あるので,これで4枚目だ.
う~む…

で,肝心の音.
これが想像していたよりもよかった.
もうしばらく聴きこめば音の特徴もわかるだろうな.
ポリーニとクライバーは品切れになる前に買っとかんとあかんばい.

他にもアルゲリッチが弾いたラヴェルとショパンのピアノ協奏曲.
60年代のライヴ盤で,音質がいまいちだが,演奏はピカ一.
交換してもらったCDは大澤壽人の「神風協奏曲」.
関学(高校)出身なので阪神の作曲家ということになるのだよ,チミ.

2007年11月26日月曜日

テレビを見て

日曜が終わり月曜になった.
そして,この週末にしたことを振り返ると,掃除,洗濯,ダビング作業にテレビドラマ.

二夜に渡って点と線を堪能した.
松本清張の傑作であるばかりか,ご近所の香椎が舞台であることもあいまって食い入るように見てしまった.

登場人物の中で最も印象に残るのは,やはり安田夫妻だろう.
政治家と,結果的には官僚機構を救って服毒自殺する彼らは,鬼のような非情さと心根の優しい一面が同居しているのだ.
他方,これが日本の社会秩序の根幹であるとするならば,なんて不幸なことだろう.

久々にたけしのいい演技を見たのと,脇を固める役者が現在のテレビドラマにおいてはかなりいい人たちをそろえたこともあって,最後まで一気に話をもっていってくれた.

それに,松本清張.
かつての公明党と共産党の密約を成立させた裏の立役者だけあって,単なる殺人事件に留まらない描き方をしている.

あ~楽しかった.
が,火曜の準備がぜんぜん進んどらんがな.