先日,みすずから出ている「クナッパーツブッシュ」をやっとこさ読了.
ナチスとの関係をどう位置づけるべきか議論の多かったこの指揮者だが,著者の立場は共感を示しつつも灰色の部分はそのまま残しておくというもので,妥当なものと言えるだろう.
個人的には,ナチとの関係ではカラヤンほど意識的な機会主義者ではなかったけれども,反ユダヤ主義という点では,確信犯だと感じた.
ただ,クナッパーツブッシュという人物は,演奏はさておき,政治とのかかわりから見る限りでは,フルトヴェングラーほど面白くない.
実は,本を読んで面白かったのが,文中に紹介されている当時の演奏評だ.
この指揮者が生前たびたび批評家とトラブルを起こしていたこともあり,文中でもクナの指揮振りについての批評が引用されている.
ワーグナーはさておき,モーツァルトやベートーヴェンの指揮について,クナの演奏が当時から批評家の批判にさらされていたことは面白い(ことにアルフレート・アインシュタイン).
現存する録音で聴いても,彼の古典派の演奏はブラームスまで含めて,あまり感心していなかったのだが,当時から同じ評価が存在していたことを確認することができ,こちらの感触を裏打ちするものと受け止めてしまった.
また,ワーグナーのベートーヴェン論について間接的な言及があり,たまたま並行して読んでいた渡辺裕の「文化史の中のマーラー」に共鳴する箇所(分離派によるベートーヴェン展の紹介)を見つけて,あらためて19世紀から20世紀中葉までの音楽史においてベートーヴェンの占めていた意義について想いをめぐらしていた.
この時期のクラシック音楽におけるベートーヴェンは,吉田秀和の言葉によれば「北極星」のような位置にあったと言われている.
しかし,北極星という言葉が含む内容は,こうしていろいろな本から得た知識を総合していくと,当初こちらで漠然と抱いていた印象をはるかに越える射程を持っていることがあらためてわかる.
古典派の頂点に位置するとともにロマン主義の先駆,絶対音楽の確立者であるとともに標題音楽の先駆者でもある.
さらに,総合芸術の源としての第9など,ベートーヴェンが当時の音楽史を貫く一本の軸として意識されていたことを確認することができる.
結局,ドイツ音楽の優位性を確立したと信じていたシェーンベルクが,この軸の終着点に位置するとともに,彼の意図にもかかわらず,クラシック音楽をベートーヴェン(ドイツ音楽)の呪縛から解放する役割を演じたといえよう.
あるいは,別の表現では,ドイツ音楽としてのクラシック音楽の墓堀人と言うべきかもしれない.
次は,ワーグナーのベートーヴェン論を読んでみないといけないなぁ.
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