2009年2月28日土曜日

FA43 Ltd.のこと

先日東京に出かけたついでに立ち寄ったペンタックス・フォーラム.
目的はFA43 Ltd.レンズを見てもらうことだった.

このレンズ,購入して早々気泡に見えるゴミの混入があり,掃除に出してもらったものだ.
戻ってきてからフィルム一本撮り終えて,デジカメでも特に問題はなかったので大丈夫と安心していたのだが,ある日ふとヘアライン状の傷がうっすらと見えることに気がついた.

レンズの傷か汚れかイマイチ判然とせず,掃除してみて傷だったらどっちみち修理に出すことになるので,自分で下手に掃除するよりも最初からフォーラムに持ち込むことを決意した.

さて,診断の結果はやはり傷だとのことで,前玉をそっくり交換することと相成った.
先ほど戻ってきたレンズを確認したのだが,今度はさすがに大丈夫,かな.

送信者 日々是好日その2


ちなみに交換した前玉もいただけるとのことで,同封されていた.

送信者 日々是好日その2


「合格品です」という走り書きが,技術的な問題と素人の細かい気持ちとの差を示しているように感じた.
技術者としては,実写にも影響がないレベルの傷なので問題なしということなのだろう.

しかし,これだけの小さなレンズをいろいろ組み合わせて,いろいろな描写を生み出していくのだから,レンズを設計する作業というのも面白いのだろうな.
スピノザのようにレンズ磨きして,宇宙をそこに感じ取るのもいいのかもしれない.

送信者 日々是好日その2

2009年2月27日金曜日

最近見た映画

ポロック
2000年アメリカ

監督:エド・ハリス
主演:エド・ハリス,マーシャ・ゲイ・ハーデン他

アメリカを代表するモダン・アーティストであるジャクソン・ポロックの伝記的映画.
ジャクソン・ポロックの作品は,加藤さんの講義でたびたび耳にしたり加藤さんの書いた文章を読んだ後に実際に接した.

ポロックは,ドリッピングの技法を確立し,アメリカ初の世界的モダンアーティストとして評価されながら,交通事故で若くしてなくなっている.
映画は,その生涯を支えた妻/画家,家族や知り合いの芸術家,美術批評家とのかかわりから,ポロックの作品が生まれ,評価され,落ち目になっていく過程をたどっている.

加藤さんの講義では,抽象表現主義(abstract expressionism)の代表的芸術家としてたびたび言及されていた.
また,その文章では,ポロックのドリッピングの技法が解剖学的な制約を免れることができず,したがって晩年に行き詰まったのはある意味で自然であり,彼の交通事故は事故であるとともに自殺に等しいと述べていた.

映画では,ポロックの事故はあくまでもアル中のポロックによる飲酒運転が原因として描かれてはいるが,理解の仕方によっては加藤説を裏書するものともとれる.

ヨーロッパの圧倒的影響の下にアメリカの芸術界はスタートした.
だが,そのヨーロッパに対して,独自の個性を持つ芸術家が生まれだしたのがポロックの生きた時代であり,絵画においてはまさしくポロックがその初めの人物として評価されたのだ.

音楽では,バーンスタインがいたことを映画を見ながら連想せずにはいられなかった.
ただ,絵画と音楽との違いは,画家は複製をしていては評価されないのに対して,音楽家の使命は再現にあるという大きな違いだ.

とはいえ,絵画と音楽という違いはあるにしても,ポロックもバーンスタインも型破りという点では一致する.
これもアメリカという土地で新たな芸術を生み出すうえで必然的な要素であったのだろう.

加藤さんがこの映画を見ていたら,どんな話をしたのか,そのことも脳裏に浮かべながら映画を見ていた.

2009年2月22日日曜日

加藤周一さんお別れ会に思ったこと

21日に有楽町の朝日ホールで加藤周一さんのお別れ会が催された.
当日は約1時間前に会場に到着,一般席に座ることができた.

祭壇に飾られた遺影はワインレッドのジャケットに黒のタートルを着た姿で,よく目にした服装のものだった.
会話か講演の途中で撮影したものなのか,今にも話し出さんばかりの表情でかつての雑談での一瞬を切り取ったような生気あふれる顔が印象に残った.

弔辞は大江健三郎,水村美苗,吉田秀和の各氏.
当初予定されていた鶴見俊輔氏による弔辞は体調不良のために司会が代読した.
また,垣花秀武氏やロナルド・ドーア氏など交流の深かった友人からの弔電も紹介された.

大江氏は自らが加藤さんの著作との交流を通じて,これからの活動の糧にしていきたいという主旨の弔事であり,水村氏は,通常の弔辞に潜む記憶の再操作,すなわち通常の弔辞が故人を善き人に仕立てていく行為であることを聴衆に意識させつつ,にもかかわらず加藤さんがそのような記憶の再操作を必要とせずに弔辞を述べることのできるまれにみる善き人であったことに触れていた.

とりわけ印象に残った弔辞は吉田秀和氏によるものだった.
客席と加藤さんの想いを共有すべく,弔辞であるにもかかわらずあえて遺影に背を向けて,聴衆に語りかけてくれた.

加藤さんの凝集された表現やアイロニーを吉田秀和氏はとりあげ,多様な現実から要点を抽出し,それを切り詰めた表現に結晶化していく点を加藤さんの人生と結びつけていた.
しかしそれだけでなく,加藤さんが細部に対する感受性や深い理解を備えていたことを指摘することも忘れなかった.

弔辞を締める言葉として,「友人として愛していた.とても悲しいです.」と言われたのだが,それはおそらく多くの人の心に深く染みただろう.
教養の背景,同じ時代を共有し,互いに信頼してきた者でないと伝えることのできない,心の底からの愛情と悲しみの入り混じった言葉だった.

ひとつ気づいたことは,吉田秀和氏や鶴見俊輔氏,それに垣花秀武氏や日高六郎氏など,同時代を生き,同じ空気を肌で感じていた方たちの加藤さんに対する評価に共通していた点である.
それは,軍国主義に対して徹底的に反対であり,その姿勢がぶれなかったことを強調していたことだった.

彼らは,生涯に多様な領域で活動を展開した加藤さんについて語るとき,まず軍国主義に対してとった姿勢を中心に据える.
それは,加藤さんの多様な活動の根っこに揺らぐことのない政治との距離のとり方,接し方があることをあらためて思い起こさせるものだった.
鶴見氏はそのような姿勢を「心棒(しんぼう)」という言葉で表現していたが(アイザイア・バーリンならば「人格の重心」と表現するだろう),戦後に生まれた世代は加藤さんの戦中の姿勢を勇気あるものとは思いつつも,その真の意義/困難さをどれだけ肌身で理解してきたのだろうか.

弔辞に耳を傾け,加藤さんとの会話を思い出しながらそのようなことを考えていた.

加藤さんからなにを継承し,発展させていくことができるのか.
かつて同じ趣旨の質問を直接加藤さんにうかがったことがある.
その時,自らが新たに提起した課題が誰かによって引き継がれ,深められていくことに喜びを感じることがある,と答えていた.

会場にはかつて学生時代にともに講義をとっていた人の姿もちらほら見え,久しぶりの再会となった.
こうした人との出会いも加藤さんが結び付けてくれた未来の可能性なのかもしれない.
あらためて感謝の念がわきあがってきた.

平凡社のブログにもお別れ会の様子が載っている.
今日の平凡社: 加藤周一さん お別れの会

東京での滞在二日目

泊まったホテルは目の前に都庁がそびえていた.

送信者 日々是好日その2


庁舎の間からは朝方富士山をのぞむことができた.

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久々に見た富士山.
それにしても都庁は威圧的で不用意にデカイ.
丹下晩年の汚点だろう.

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新宿で初期に属する高層ビル.
このビルは小学生の頃に空想していた未来都市の具体的なモデルだった.
懐かしい.

お別れ会の後は銀座で大学時代の後輩と数年振りに飲んだ.
政治部の記者になっていて,いろいろと話を聞くことができ楽しかった.

送信者 日々是好日その2


銀座はいろいろなカメラを抱えた人が目についた.
面白い被写体にめぐりあえることは確かだ.

その後江戸前寿司を食べて羽田へ移動,福岡に戻った.

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今回のマイおみやげはベルンのミルフィーユ.

送信者 日々是好日その2


それにウェストのドライケーキ.

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銀座パウリスタで買った珈琲をいれて食べてみた.

送信者 日々是好日その2


おいしかったな.
また明日珈琲と一緒に食べよう.

東京に行く

20日から東京へ.

送信者 日々是好日その2


目的は21日に予定されていた加藤周一さんのお別れ会.

20日は昼過ぎに到着後国会図書館で夕方まで資料を漁る.
その後新宿へ移動,宿泊予定のホテルにチェック・インの後,ペンタックス・フォーラムへ.
フォーラムではジャカルタ以来久々で会う知人と合流したのだが,他にもFA43 Ltd.の修理を依頼した.

以前修理から戻ってしばらくしてから気がついたのだが,このレンズ前玉に極薄い傷があり,汚れなのか傷なのか判断がつかず持ち込んでみた.
結果は傷ということで,前玉を交換することとなった.

フォーラムでは当日発売開始となったDA☆55mmがおいてあり,試しに数枚撮ってみた.
確かに開放でのピント合わせが難しいけれどもきれいに撮れた写真は大変魅力的だった.

夜は知人と飯を食い,久しぶりにくだらない話を延々と展開して,心が清められた.

2009年2月18日水曜日

京都へ行った

研究会のため久々に京都へ.
ついでに久々に哲学の道を歩く.

送信者 日々是好日その2


たくさん撮ってきたので,残りは後日にでも.

天候に恵まれて楽しかった.
また京都に住みたいなぁ.

2009年2月14日土曜日

朋遠方より来る

関西に住む友人から突如メールがあり,香椎で会うことになった.
馴染みの焼鳥屋に連れて行き,しばらくぶりにあれやらこれやら話をしたので楽しかった.

駅まで見送った後,近くのラーメン屋に立ち寄る.

送信者 日々是好日その2


福岡に越してきて比較的はやく見つけたラーメン屋なのだが,いつも食べそびれていた.

送信者 日々是好日その2


こっちのラーメンの例に漏れず,とんこつスープなのだが,割とあっさりとした味でおいしかった.
この店の売りは自家製の麺らしく,食べている間にも店の人が麺の仕込みをしていた.

送信者 日々是好日その2


明日は,というかもう今日なのだが,京都に行く予定.
早く寝なければと思いつつ,メモリーカードを探して遅くなってしまった.